「林檎とポラロイド」(2020)
作品概要
- 監督:クリストス・ニク
- 脚本:クリストス・ニク、スタブロス・ラプティス
- 製作:アリス・ダヨス、イラクリス・マヴロイディス、クリストス・ニク
- 製作総指揮:ケイト・ブランシェット
- 音楽:アレクサンドル・ヴォルガリス
- 撮影:バルトシュ・スウィヤルスキ
- 編集:ヨルゴス・ザフェーリズ
- 出演:アリス・セルヴェタリス、ソフィア・ゲオルゴヴァシリ 他
リンクレイターやランティモス監督の助監督を務めていたギリシャ出身のクリストス・ニクが初めて監督デビューを果たすことになった作品。
記憶障害を発症する人が相次ぐという世界で、自分が何者かもわからない男が、人生を再始動させるプログラムに参加し、ミッションをこなしていくというドラマ。
主演はアリス・セルヴェタリス。
今作はヴェネチア国際映画祭にてプレミアされ、そこで批評面からかなりの好評かを得ました。さらに評判を聞いた俳優ケイト・ブランシェット(「キャロル」など)も今作を鑑賞し絶賛、製作総指揮に。
日本でも2020年の東京国際映画祭にて醸成されていました。当時の公開名は「アップル」。
22年になって一般公開も決まり、映画祭では見逃してしまった身としては非常にありがたい形に。
とはいえ鑑賞は少し遅れて公開の次の週になりました。
〜あらすじ〜
近年、記憶障害を突然発症する例が多発している。
多くの人が年齢に関わらず、突然記憶を失い、自分が誰であるのかすら思い出せない。
男はバスに乗り居眠りし終着点で車掌に起こされる。
彼もまた自分のことが欠片も思い出せず、IDも持ち合わせていなかった。
病院で処置を受けるが彼を迎えに来る親族も現れず、医師からある提案をされることに。
それは人生のリスタートとして、これから様々なミッションをこなしていき、それをポラロイドカメラで撮影し新たな記憶を積み上げていくというプログラムへの参加だった。
男は早速、自転車に乗る、仮装パーティにでるなどのミッションをこなしていき、そこで同じプログラム参加者の女と出会う。
感想/レビュー
私達を構成し定義するものとは
ギリシャの映画というとやはりヨルゴス・ランティモス監督と彼の作風が思い起こされることになります。
今作もさすが以前に助監督として学んだニク監督だからか、同じような静けさと皮肉、独特な世界観を持っていました。
記憶を失う奇病のまん延について、その原因も説明もなく大前提にて置いてくる手法も、なんだかランティモスの世界に似ています。
それゆえに、今作もこの病気についての物語ではありません。
ここで重要なのは、記憶という要素と人間の関係性であると考えらました。
誰しもがすぐにセルフィーを撮って、デジタルの世界に足跡を残し積み重ねていく。
SNSのフォトフォルダ、スマホのアルバムを覗けば、自ずとその人物の歴史が見えてきますね。
突き詰めていけばそれこそがその人間であるのかもしれません。
写真が少ないほどに存在は曖昧になっていき、まるで「ブレードランナー」におけるレプリカントのように思えてきます。
記録の集合体を持たない、記憶のない男は存在すると言えるのか?
皮肉交じりでシュール
現代においてしきりにセルフィーを撮り、何かと写真投稿を重ねる私達と並んで、ニク監督がここで描く世界を眺めていくと皮肉ですね。
我々もまるでレプリカント。この主人公のようにプログラムに参加しているように思えてきます。
そんな現代社会を映し出す画面は、その人間とロボットのような我々と、窮屈さをそのまま表現するかのようなスタンダードサイズ。
ほとんど正方形に近いアスペクト比を持っていて、ちょっとせまく感じますね。
またこの四角い感じは、映画自体がポラロイドカメラで収めた写真のようにも思えました。
もちろんこの男の新しい記憶づくりの旅を通して、なんだか自分も初めて何かをした時のことを思い出します。
プールの飛び込みのシーンとか、やるけれど低いところで妥協しちゃうとか分かるなと思います。
しょっとシュールな笑いも入っていますね。
記憶はあるのか
その記憶の新しい積み重ねにおいて、今作はミステリーテイストを持ち合わせています。
主人公の男とリンゴの関係性においては、なぜ彼がリンゴを食べ続けるのかに疑問がずっとついて回ります。
そしてOPすぐにも認識していた犬の存在。のちにも犬が出てきてしっかりと名前を呼んでいます。
もちろんそれだけであれば、犬のことだけは偶然覚えているだけとも言えます。
しかしここでしっかりとそれぞれの演出が効いてくることで、男が記憶を失っているのかどうかという疑念を持つことになるのです。
繊細なリアクションで示される苦悩
犬のシーンは飼い主に対するリアクションでしょう。
はじめは飼い主にも軽く挨拶していますが、2回目のシーンでは犬にパン?を与えてそのすきにさっさと逃げていくようにその場を離れています。
まるで飼い主には会いたくない、自分を知っている人間を認知しているようでした。
そしてリンゴでは果物屋の店主との会話が印象的です。
ずっとリンゴを買い続けていた主人公に、店主がリンゴは記憶力を良くするなんて話をします。
そこでの主人公は袋に入れたリンゴをすべて戻して、オレンジを買うのです。
ここに込められている想いと意図が、こんなにも単純なリアクションで語られているのです。
悲しい記憶も含めてその人を作っている
明かされていく男の過去。記憶。
直接は語られませんが、巧妙に初めから記されている。
ほぼ確実なのは、男が求めていたのは妻を失った喪失と悲しみの記憶の消去です。
冒頭で男は精神に異常をきたしたかのように、壁に頭を打ち付けていました。記憶障害よりも前に、彼には抱えているものがあったということです。
そして彼が記憶をなくすのはバスの終点。終わりなんですよね、彼にとっては。最愛の人を失った彼の人生は終わったも同然。
だからリスタートを図ろうとした。
しかしいくら積み重ねていったとしても新しい記憶とは作られたものでしかなかったのです。
うまく行っていたように思えても、女がなぜ自分をトイレで誘ったのかを知った時、大きな失望を感じた。
悲しみを彼なりの方法で処理しようとした旅は、受け入れることで終わりを迎えたと思います。
確かに生きていく中で、辛いことや悲しいこと、苦しいことというものは誰しも経験があるかと思います。
大なり小なり、忘れてしまいたい、記憶から消し去ってしまいたいものを抱えている。
しかし消してしまうことは、それはそれにまつわる全ての削除になってしまう。
男にとって、妻の死を忘れ去ることって、妻との想い出すら消すことになるんですよね。
ずっとリンゴを食べ続ける。
その行為こそ彼が妻と愛し合った日々の証明であり、悲しみもそれを捨て去ろうとしたこのプログラムへの参加へもこの男を作り上げているのです。
悲しみ処理映画の一つとして、独特な世界観と静かながら雄弁な語りが楽しめた作品。
クリストス・ニク監督。ギリシャからまた一人今後が楽しみな監督が増えました。
ケイト・ブランシェットにかなり気に入られたようで、次には彼女のプロデュース、キャリー・マリガンを主演に迎えてハリウッドで映画を撮る予定のようですね。
楽しみにしましょう。
ということで今回の感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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