「ブレードランナー2049」(2017)

  • 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
  • 脚本:ハンプトン・ファンチャー、マイケル・グリーン
  • 原案:ハンプトン・ファンチャー
  • 原作:フィリップ・K・ディック 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
  • 製作:アンドリュー・A・コソーヴ、ブロデリック・ジョンソン、バッド・ヨーキン、シンシア・サイクス・ヨーキン
  • 製作総指揮:リドリー・スコット、ティム・ギャンブル、フランク・ギストラ、イェール・バディック、ヴァル・ヒル、ビル・カラッロ
  • 音楽:ハンス・ジマー、ベンジャミン・ウォルフィッシュ
  • 撮影:ロジャー・ディーキンス
  • 編集:ジョー・ウォーカー
  • 出演:ライアン・ゴズリング、シルヴィア・フークス、アナ・デ・アルマス、ロビン・ライト、ジャレッド・レト、ハリソン・フォード 他

SF映画の傑作、映画史に残るカルト作品である、リドリー・スコット監督による「ブレードランナー」(1982)。陰惨で汚れた、ディストピアを未来として登場させ、その後のあらゆる作品に大きな影響を与えました。

そして今回、実に30年以上の時を経て、その続編が登場です。

監督は「エイリアン:コヴェナント」(2017)でファスベンダーを撮るのに忙しいリドリー・スコットに代わり、「ボーダーライン」(2015)や「メッセージ」(2016)などの傑作を生み出している、鬼才ドゥニ・ヴィルヌーヴ。また今作の主演は「ドライヴ」(2011)や「ラ・ラ・ランド」(2016)のライアン・ゴズリング。

その他アナ・デ・アルマスやシルヴィア・フークスが出演し、さらに時が流れたブレードランナーの世界に新しい存在を見せています。また、正式な続編であることから、デッカード、つまりハリソン・フォードも復帰。

一週遅れでの鑑賞でしたが、満員に近い状況で鑑賞しました。今回は2D字幕。映像美や世界観からして、やはりIMAXが良いのかな。

タイレル社の一件から時が過ぎ、反乱を起こすレプリカントの製造をしていたタイレル社は倒産。人口合成食物で人類を救ったニアンダー・ウォレスはタイレル社の遺産を買収し、新たなレプリカントの製造を始めた。

より人間に忠実で、用途に合わせて性能も調整されたレプリカントたちは、人間社会に労働力として提供された。

その新型レプリカントで、LAPDの捜査官として働くK。彼は不完全で反抗的だった旧型のレプリカントを探しだし、”解任”する「ブレードランナー」である。

Kはある旧型のレプリカント解任を行った際、「奇跡を見たことがないのだ。」と言われ、周辺の捜索時に、まさに奇跡というべき起こり得ないものを発見するのだった。

ここまで各人の思い入れが強いであろうカルト作品の続編というと、ファンは「スターウォーズ フォースの覚醒」(2015)と同じような心持ちだったのではないかと思います。

しかしその点に関しては、確実に前作と同じ世界が、その延長に存在し描かれていると感じました。

私はオリジナルを全バージョン観たことすらない人間ですが、今作はオリジナルを愛する心によって丁寧に作られていた印象です。

世界観を構築する上での、喪失の感覚。

ディストピアな未来は続いていますが、芯の部分に喪失が感じられるのがとても良いと感じました。技術は進歩し、新型のレプリカントもいて、食物も巨大な機械で半永久的になった。

ごちゃごちゃと要素が継ぎ足されていたのが特徴的であったオリジナルに比べると、オープニングで映るカリフォルニアはカッチリと整理された太陽光パネルがあり、世界はどちらかと言えばすっきりと、まさ荒涼としてものが少ない印象。

今回はロジャー・ディーキンスによる撮影も印象的でした。かなり引きの画と言うか、奥行きのある広い空間に、人物を小さく置くような構図が多くて、寂しさがかなり増していたと思います。

物寂しい感じは美術の観点でも感じられて、企業広告の映るロサンゼルスの街もそうですが、デッカードに場所とかの、過去を感じる部分も好きでした。

人がいなくなった豪華なホテル?とか、その前に色々ある巨大な像の残骸とか。一つの文化とか時代が死んでしまっている、その残骸みたいなものがまた切ない。

どちらかと言えば、オリジナルが雑多な未来だったのに対して、少なくとも今作は閑散とした場面が多いです。しかし、ものがあろうとなかろうと、空虚で寂しい感覚が胸に響いてくるので、やはり続いている未来なんだと思いました。

お話の部分に関しては、こちらもやはり描かれ方と同じく寂しく切ないですね。

主人公のライアン・ゴズリング演じるK。ホント終始ひどい目にばかり合っていて、かわいそうで仕方ない。ちょっと今回は、「ドライヴ」(2011)のドライバーみたいな、物言わずかつ悲しい愛を持っていた気がします。

特別な何かでありたいけど、そうではなかった。

自分は望まれ、愛されて生まれた。自分の生には意味があるのだと思いたい。しかし、全ては作られたもので、そして愛ではなく便利だから存在するだけ。

目的別に調整までされるようになった、まさに”道具”としてだけのレプリカントたち。

Kはスキンジョブと差別され、あの居心地の悪い精神がおかしくなりそうな尋問を毎回繰り返させられ、ことごとく利用される。

彼の愛がホログラムのジョイに向いたものであるのも、内向的で悲しいですし、覚悟を決めて連れ出したのに、あのデバイスまで破壊されて・・・

稀に見る悲惨な主人公を、その設定上表情を変えないという制限を超えて、眼で良く演じきっているライアン・ゴズリングが素敵です。

しかしそれ以上に私個人的に印象に残ったのは、シルヴィア・フークスが演じている、ウォレスの右腕として働くレプリカント、ラヴです。

「私こそ最上の天使。」

彼女は繰り返しこの台詞を言いますけど、彼女も生を、記憶を、愛を欲しているのです。

無表情ながら何度も涙を流すラヴが切なすぎて・・・

ラヴ、愛という名を持ちながら、彼女は誰にも愛されていない。

今作はジョイ=悦楽やラヴ=愛、マリネット=傀儡など、レプリカントたちが面白いネーミングでもあります。

大筋としてはKの物語であり、またデッカードの話もあります。

個人的にはデッカードの部分は話こそ良いですが、無理にからめた気すらしました。というのも、彼自身が何かするってことが無かったからです。

最後の水際での場面とか、ただひたすら溺れかけてるだけだった気がします。ちょっと残念。どうせならKの話にもっともっとフォーカスして見せてほしかったかも。

何か内側のものを失ってしまい、フワフワと浮いたような感覚に陥っているレプリカントたち。

生きるとは、記憶とは、そしてその定義は。

背景には革命とかSF世界のうねりがあるのですが、監督はずっとKに集中して、わりとこじんまりした個人的な話にしています。

私はそのおかげで、普遍性とかが強まっていて良かったかなと思います。

バーチャルな女性のみを愛して、望むもの聞きたいものだけに没入していく様は、別にディストピア未来どころか、今私たちがいる現実の私たちそのものですよね。

スマホゲームでも良いですし、こうして映画キャラでも。全ての創造されたものに何か特別な感情を抱いたことがあれば、ジョイのメモリースティックが踏みつぶされる悲しさは分かると思います。

ハンス・ジマーとベンジャミン・ウォルフィッシュによる音楽、ロジャー・ディーキンスの撮影。

寂しく切り取られた画面に、寂しい人造人間の物語が語られる。

人の殺しの武器、性的欲求のため、また媒体として。散々なレプリカントたちですが、私は最後の最後にKがふと笑みを見せるとこで超感動。

「笑わないのね。」と言われていたあのKが、最後に見せてくれたほんの少しながらの笑みは、特別でなくても、また確固たる生きる意味がなくても、それでも存在していいと言っているようでした。

元々思い入れの強いファンの皆さんはどう感じたのでしょうかね。

私は前作、今作、どちらもすごく好きです。おススメですが、一つ言えるのは、やはりIMAXが最善のフォーマットかなと言うところです。

今回はこんなところでおしまいです。それでは、また~

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