「ボーイ」(原題)(2010)
- 監督:タイカ・ワイティティ
- 脚本:タイカ・ワイティティ
- 製作:クリフ・カーティス、エインズリー・ガーディナー、エマニュエル・マイケル
- 音楽:ルーク・ビューダ、サミュエル・スコット、コンラッド・ウェッド
- 撮影:アダム・クラーク
- 編集:クリス・プラマー
- プロダクションデザイン:シェイン・ラドフォード
- 衣装:アマンダ・ニール
- 出演:ジェームス・ロールストン、テ・アホ・エケトン=ウィツ、タイカ・ワイティティ、レイチェル・ハウス 他
マーベル映画「マイティ・ソー バトルロイヤル」(2017)を手掛ける、ニュージーランドの監督タイカ・ワイティティ。彼の作品は昨年夏に「ハント・フォー・ザ・ウィルダーピープル」(2016)を見ていますが、やはりしっかり作品を観たいという事で、遡っていました。
今回の「ボーイ」(発音聞く限りボイ)は、彼の作品の中でもブレイクスルーのような作品という事で、海外版ブルーレイで鑑賞。
そもそも日本公開してない?あとソフトも見つからなかったです。
ニュージーランドでもかなりの興業を上げたようで、批評、興業共に監督が有名になったきっかけなのかな。劇中に使われる、ニュージーランドのヒット曲が鑑賞後頭を離れません。
11才の少年ボイ。ニュージーランドの東海岸に暮らす彼には、おもしろいものがたくさんあった。超能力があると思い込む弟ロッキー、学校のいじめっことの社会勉強、ヤギ、そしてマイケル・ジャクソン。
彼は叔母とその他いとこと暮らしているが、ある夜、刑務所から出所した父が帰って来た。
ギャングな父にボイは憧れ、彼の宝探しに付き合うことになる。
タイカ・ワイティティ監督の描く父と子の物語は、決して少年ボイの視点と彼の解釈から外れることなく、幼さのあるコミカルさを保ちます。その一方で今作は単なる家族の再会には止まらない、非常に切ない痛みも持ち合わせていました。
お金持ちになることはどういうことか想像すらできない(毎日スーツを着ることだと彼は思っています)貧困の中に育ったボイ。
今作はその彼の知らない故の空想、言ってしまえば理想が崩壊していく物語です。
ごっこ遊びを多用することもその空想で遊ぶ感覚を強めていますが、挿入される彼の理想のヴィジョン、弟ロッキーのイラストでの現実解釈を通し、観客は彼らの眼差しを体感します。
やっと会えた父にマイケル・ジャクソンを重ねて、実際の光景とは異なる理想のシーンが展開されていきますが、とにかく恥ずかしい幼さのあるユーモアで笑ってしまいます。
このセンスは確かなもので、現実の視点で見ると悲惨な状況を笑いに変えるものであり、同時に悲しくもありましたね。
ボイの理想は積み重なり、彼自身がギャングスタの投影をしていきます。何か大きな、カッコいい存在へ憧れていくのですが、明らかにボイはそんな存在ではありません。
そして理想が決定的に壊れる瞬間というのが実は彼が知っていた現実を認めるようにも思えました。何も知らないというのは少し違うんですよね。
父とついに対峙する場面。
唯一の美しい想い出が、実はそれも単なる理想だったと気づく瞬間に、心が痛みます。今だけでなく、過去すら「こうだったら良い」という投影だとすると、ボイが父のことをロッキーに話すシーンが思い起こされました。
彼は実際にあったことを知っていながら、弟に綺麗な思い出を与えるため、そして傷つけないために嘘をついていたんですね。
納屋で父を叩く場面、弟を守っているんです。そういう点では、少年はロールモデルに幻滅し、自らより弱い子供たちを守り、見本になる決意をしたように思えます。
彼は映画の冒頭、おばさんの代わりに子供の面倒をみる、保護者の役割を与えられますが、一度は父のように放棄しました。しかし、父とは違って、彼らを守るお兄ちゃんとしての決心をしたわけです。
過去はもはや悲惨なものでしかなく、現実も理想とはかけ離れたものです。
しかしボイは全てを受け入れていく。
そしてこの兄弟と父は唯一残った繋がりを見つけます。
しょうもない父が何度も訪れるお墓。ロッキーのイラストでのアニメーションで示されるように、父の想いはそこにありました。そしてこの家族は今は無くなってしまったもの、喪失を共通点にします。
過去には何も共有してこれなかったけれども、今作はここに来て未来を見せるのです。
家族みんなの現実が一つで結ばれるとき、同じ痛みをもってお墓に集まるんですよね。
ボイは理想を失いつつ、彼にとっての現実を見据えます。少年の成長記でありながら、同時に社会的要素を盛り込み、ニュージーランドの沿岸の家族をユーモアたっぷりに描く。
彼のゴールを、お金持ちになるとか、ギャングスタになるとか、何か成し遂げるところに置かなかったのは見事だと思います。
彼にとって最大の理想は、家族を得ることだと感じるのです。
エンディングには、ニュージーランドヒット曲であり、マオリ語の”Poi E”が流れます。今作の時代設定である1984の大ヒット曲。そしてダンスや衣装などは、時代を同じく世界中を沸かせたマイケル・ジャクソンのスリラー風。
ボイのアイデンティティーを表すようなラストのダンスには、彼の憧れと故郷が融合しているわけです。そしてそこにはみんながいるのです。この先の”potential”に溢れたエンディングでした。
タイカ・ワイティティ監督のユーモアは子供っぽさがあって好きですし、結構シニカルな、というか社会的で心の痛む部分も持ち合わせてますね。
ソーも楽しみですが、逆にソーを見てからこう監督の作品が色々観られるようになると良いですね。そんな感じで感想は終わります。それでは、また。
コメント