「イット・カムズ・アット・ナイト」(2017)
- 監督:トレイ・エドワード・シュルツ
- 脚本:トレイ・エドワード・シュルツ
- 製作:デヴィッド・カプラン、アンドレア・ロア
- 製作総指揮:ジョエル・エドガートン
- 音楽:ブライアン・マコンバー
- 撮影:ドリュー・ダニエルズ
- 編集:トレイ・エドワード・シュルツ
- 出演:ジョエル・エドガートン、クリストファー・アボット、カルメン・イジョゴ、ケルヴィン・ハリソン・Jr、ライリー・キーオ 他
トレイ・エドワード・シュルツ監督による、病原体感染から逃れ暮らす家族と家を舞台とするシチュエーションスリラー。監督は今作の脚本また編集も自身で担当しています。
主演は「ラビング 愛という名前のふたり」のジョエル・エドガートン。また、「アメリカン・ハニー」のライリー・キーオも出演。
作品自体は2017年のもので、日本公開は1年以上遅れることになりました。劇場の入りはそこそこ。そして今作は何を期待するかで大分好き嫌いが別れるタイプだと思います。
そう遠くない未来では謎の病原菌が蔓延しており、ポールは家族を守るために森の奥の一軒家に隠れるように暮らしていた。家中の窓は塞がれ、唯一の出入り口となるのは、赤く塗られたドアだけである。
ある日家に侵入してきた男をポールが捕らえたところ、彼は妻子のために水を探していたと言う。疑いながらも男の家族を家に招き入れ、次第に打ち解けていくのだが、ある夜、ポールの息子ジェイコブが、開けてはいけない赤いドアが開いているのを発見する。
予告編を観て期待値を上げているなら、今作はもしかするとがっかりしてしまう可能性があります。
というのも、予告が、そして言ってしまえばタイトルがとてもミスリードだと思うからです。
予告編や広告を見る限りは「クワイエット・プレイス」などのシチュエーションスリラーを期待し、”それ”の正体やサバイバルに注目が向けられるかと思うのですが、実際に今作が描いているものは、ロバート・エガース監督の「ウィッチ」に描かれたものに近い印象を受けました。
ホラーの要素は舞台設定としては持ちながらも、実質はその邪悪な何かやモンスターは重要ではなく、というか存在するのかすら怪しく、それよりも、そういった存在がいると信じて影響を受ける人間たちのサイコスリラーでした。
そして私が大好きな、これは上記の「ウィッチ」が好きな理由でもありますが、映画と観客の間に普段は無条件に置かれた信頼関係を揺さぶるタイプの作品なんです。
確かに今作は、OPにて祖父が明らかに何かの病に犯されており、そして病院に行くでもなく、ガスマスクを着けた家族に囲まれ、森の中で楽にして焼却するまでを描き、作品世界の切迫した状況を伝えています。
その台詞もほとんど使わない語りであっという間に舞台を整えてしまう腕前も素晴らしいですが、その後は別に感染者が出てきて襲ってくるとか、死体が蘇るようなファンタジックな展開も、モンスターホラーもありません。
トレイ監督が展開するのは、ウイルスという要素に重ねた”疑念”の蔓延です。
誰が感染しているのか、相手は本当のことを言っているのか、どこまで信じて良いのか、全ては嘘ではないか。一家に外部の要素が入り込んだ時、それが大きな余波を伴って響き渡ります。何もかもが疑わしくなってくるのです。
人間の根源的な恐怖をトレイ監督はうまく使っていると思います。最小限の要素だけ使いながら、それを最大限に活用し観客を闇に落としていく。
人間はわからないことに恐怖を覚え、執着してしまいます。理解できないものや不明なことに恐怖するわけです。ここでは、ウイルスがいるとかちょっと矛盾が生じるとか、相手の言葉の真偽とか、突き詰めては観客にも答えを示さず、その宙づりの中に放置してくるのです。
家の中の閉鎖的空間には逃げ場がなく、外の広い世界状況など観客には与えられませんね。
撮影面でもすごく疑うことを強める手法が取られています。
画面に入る情報という面でも、暗がりと光源を巧みに使うことで、そこに何かあるのではないか、またそこにある何かを感じさせるだけにとどめ、その何かを観ているであろうジェイコブのリアクションだけをスクリーンに映し出す。
家の中は電気が通っていなく、しかも窓もふさがれているため、基本的にはランプを持って歩くのですが、光が去った後の真っ黒さと、人物を追わずにその闇を画面に残す撮り方がよけいに疑いを強めていて効果的です。
モンスターが出てくる方がマシですよ。画面に映っていない、暗くて見えないところに何かいるのかもと感じることが、これほど恐怖をあおるということを改めて痛感させられました。
そして極めつけなのですが、先ほど言ったように、観客と映画の約束を破る信頼の崩壊があります。
今作は主人公ジェイコブの視点で主に語られていくのですが、普通は主人公が正しいのが暗黙の了解で、彼に反対であれば悪、同調すれば善というのが映画というかお話のルールのはずですが、トレイ監督はそこすらにも疑いをまき散らしてきます。
ジェイコブの視点で見せられる夢。
これは祖父が病に侵され、しかも彼を撃ち殺すところを目撃したトラウマから来ていると思います。しかし、ライリー・キーオ演じるキムへの恋心のようなものまで織り交ぜられ、ジェイコブ自身の願望も感じられます。
その夢のシーンでは、微妙にアスペクト比が変わっていましたね。上下の黒帯が太くなっていたと思うのです。
で、これがまあ夢の合図なのかなと思ってみていれば、夢ではないような場面でもアス比が変わったり、その逆が出始めるのです。そのころにはもう、夢か現実化の区別もつかず、そしてそのタイミングで、赤いドアの開放をジェイコブが発見するのです。ここまでくるともはや、ジェイコブだけは正しいという信頼関係にすら疑念が生まれてしまいます。
主人公すら信じられない、どの人物も信じられない中で事態は最悪の方向へ進んでいく。
完全に閉ざされた環境の中で、ウイルス感染があるのだというわずかな情報やそれぞれの口から出る裏のとりようもない言葉に包まれ、何もかも信じられないという絶望に叩き込まれました。
最初に言ったように、モンスターや感染者、バイオハザード的なこととかを期待すると(予告がそんな感じなので仕方ないですが)がっかりするでしょう。そういうタイプではないです。完全にこの一軒家に集められた人間が、互いに疑いあって崩壊していくサイコスリラー。個人的にはとても楽しめました。
「ウィッチ」(2015)などが好きならかなりおススメの作品です。是非劇場で。感想はこれにて終わります。それではまた~
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