「牛泥棒」(1942)
作品解説
- 監督:ウィリアム・A・ウェルマン
- 製作:ラマー・トロッティ
- 脚本:ラマー・トロッティ
- 撮影:アーサー・ミラー
- 音楽:シリル・モックリッジ
- 出演:ヘンリー・フォンダ、ダナ・アンドリュース、メアリー・ベス・ヒューズ、アンソニー・クイン 他
牛泥棒事件の犯人を私刑にすることに躍起になる町の男たちと、無実の罪で捕まってしまった男たちを、そこに居合わせたよそ者の視点から描き出していく西部劇ドラマ。
1940年の同名小説をもとにして、「つばさ」、「民衆の敵」、「スタア誕生」などのウィリアム・A・ウェルマン監督が、「12人の怒れる男」や「ウエスタン」のヘンリー・フォンダを主演に作った映画です。
その他「ローラ殺人事件」などのダナ・アンドリュース、「アラビアのロレンス」のアンソニー・クインが出演しています。
西部劇の歴史、アメリカ映画の歴史でなんども言及されるような有名作であり重要な作品。前から見たかったものの機会がなく、今回アマプラで配信されているのをちょうど見つけたので鑑賞しました。
~あらすじ~
1885年のネバダ州。
ある町にやってきたギルとカーターの二人は酒場へ行き、最近起きた牛泥棒事件を聞く。
牧場主が殺され牛が盗まれたという事件に町の男たちは激怒し暴徒と化しはじめていた。
町の長老は裁判を持って裁こうとするが、男たちは自らの手で犯人を見つけ出し私刑にすることを望み出発。ギルとカーターも同行することになった。
そして男たちは森の中で休んでいたマーティンら3人の男を捕まえ、その場で縛り首にしようとする。
しかしマーティンは自身の無実を訴え、彼らをこのまま縛り首にするか、保安官を待って裁判を行うか話し合うことになった。
感想レビュー/考察
ウィリアム・A・ウェルマン監督は若干24歳で監督デビューした方で、その4年後の1927年にはアカデミー賞作品賞を受賞する「つばさ」を撮っている方。
個人的には「民衆の敵」も好きで、この牛泥棒は前から観たかった作品でした。
特に敬愛するクリント・イーストウッドが好きな作品として挙げている今作は、これを着想に脱構築してイーストウッドがテッド・ポスト監督と作り上げた「奴らを高く吊るせ」もおもしろい映画です。
今作の主演であるヘンリー・フォンダも、出演作の中でかなりお気に入りの作品であると答えています。
風変わりな西部劇
黄金期の西部劇はたしかに名作が多いですが、この作品は特異的な内容です。
正義のガンマンや保安官と悪党の対決はなく、壮大なスケールの開拓地でのロマンスもなく。南北戦争的な要素もない。
あるのは、私刑を巡った人間の心の洞察と良心への問いかけなのです。
私刑というのは英語ではLynch。
日本語でもカタカナでリンチがありますが、あれが俗語として誰かが抵抗できない状態にありそれを一方的に暴力を振るうものとして認識される一方、私刑は法制度を無視して特定のコミュニティやグループの中で人を裁き罰を与える行為です。
今作で描かれているのはこの私刑。西部の町で独自に人を裁き罰を与える一連の騒動を、部外者である主人公のギル、カーターの視点から見ていきます。
誰の正義を追いかけているのか
何度となくあったはずのターニングポイント。踏みとどまれるのに、集団心理が働いてそのまま突き進んでしまう。
その他、元将軍のイースはマチズモのカタマリみたいな男で、自身の戦争での武勲のなさをここで挽回しようというような非常に個人的な理由でリンチに邁進します。
さらにここでリーダーシップを得ようとしたり、繊細で優しい息子を”男にする”などという毒親っぷり。
誰もが進んで私刑の執行はしたくないのに、止めることもはばかられているとは。ギルとカーターは私刑を焦らないように言いますけど、結局はよそ者なのです。
この町はあまりに独立的になっており、独自のコミュニティルールで動いている。OPでギルたちが訪れた酒場でも、酒場の店主すら追い出されたり、よそ者のギルたちに対してやたらと冷たいなどかなり保守的な町であることが示されています。
全体主義的であり、異物、反対意見や少数意見は排除される気質があるというわけですね。
本当に牛泥棒を見つけて、牛飼いの無念を晴らそうと思っている人はいたのでしょうか。正義のためというのは、自分自身の正義ではなかったでしょうか。
複雑な感情を体現したダナ・アンドリュース
西部劇を舞台に民主主義の機能や人間の良心を観察していく。私刑に処されそうになる際のダナ・アンドリュース演じるマーティン。複雑な感情が読み取れて良い。
もちろん無実を訴えなければいけないけれど、攻撃的な犯行をすればそれだけで殺されたり自分をより不利にしてしまう。だからこそ無実でとても理不尽な目に合っているのに、下手に出なくてはいけない。
一方で潜んでいたお尋ね者であるアンソニー・クインは見るからに怪しいし良い要素でした。彼がお尋ね者であることと、今回の牛泥棒事件は本来別件としてしっかり切り離して考えなくてはいけないのですから。
それでもその背景だけで牛泥棒事件の犯人なのだと思い込んでしまう。その心理もとても危険なのです。
怒りや勇み足が不幸を生み出す、それでも人間の良心を信じている
私刑は執行され、イースの息子は殺しができず。そして保安官から、「犯人が捕まったし、牧場主は生きている。」と衝撃の知らせを受けて、一気に罪悪感に飲まれていく男たち。
息子に攻めたてれられてイースが自殺してしまう。酒場は沈黙の中、マーティンが家族に残した手紙がお披露目されることに。
ちょうどカーターの顔に隠れて、読み上げているギルの目元が隠れている構図が見事。マーティンを思い出しながらこれを聞くことになります。
手紙の中身は名演説ですね。恨みや批判などなく、人の良心を信じているということが記されています。もちろん、これは男たちに向けられつつ、観客へのメッセージです。
正直、私刑間際の男が妻に宛てた手紙としては、個人的な内容とか愛よりも、臨機規範や両親について内容が多すぎて不自然でもあります。脚本化による執筆感が強いです。あからさまに教訓なのはちょっと無理やりな気もしますからね。
しかし西部劇の中でもとりわけ特異であり、素晴らしい名作として刻まれる映画であることは間違いなく、いつの時代でも見直され考え議論される題材を見事にタイトな時間で仕上げた作品です。
一度は見ておくことをおすすめします。今回の感想は以上。
ではまた。
コメント