「ハロウィン The End」(2022)
作品概要
- 監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン
- 脚本:デヴィッド・ゴードン・グリーン、ダニー・マクブライド、ポール・ブラッド・ローガン、クリス・バーニエ
- 原作:ジョン・カーペンター、デブラ・ヒル
- 製作:ジェイソン・ブラム、ビル・ブロック、マレック・アッカド
- 音楽:ジョン・カーペンター、コーディ・カーペンター、ダニエル・デイヴィス
- 撮影:マイケル・シモンズ
- 編集:ティム・アルヴァーソン
- 出演:ジェイミー・リー・カーティス、アンディ・マティチャック、ウィル・パットン、ローハン・キャンベル、カイル・リチャーズ、ニック・キャッスル、ジェームズ・ジュード・コートニー 他
2018年に初代の続編として始動した「ハロウィン」。2021年にはさらに続編の「ハロウィン KILLS」が公開され、ついに新シリーズの最終幕です。
監督は引き続いてデヴィッド・ゴードン・グリーン。
主演はもちろんジェイミー・リー・カーティス。またこのシリーズでは主人公の孫娘を演じるアンディ・マティチャックも続投しています。
今作では舞台となるハドンフィールドでのけ者扱いされている青年をローハン・キャンベルが演じており、孫娘のアリソンと関係を深めつつ、マイケル・マイヤーズともつながっていきます。
北米では2022年内に公開され、まさにハロウィンシーズンに観れたのですが、日本公開は結構遅れて23年の4月という形に。
個人的には初代のもたらした影響から、正当な続編というに遜色ない1作目がすごく好き。その分2作目には結構がっかりした人間です。
ともかく、これでフィナーレということで楽しみにしていました。
高回収には観れなかったのでその次の週に観てきました。結構若いカップルとかもいて客層がおもしろかったです。
〜あらすじ〜
凶悪犯マイケル・マイヤーズの脱走と狂気に満ちたハロウィンから1年後、ハドンフィールドの町はマイケルの影に怯えていた。
ハロウィンの日に子守を任されていた青年コーリーは、事故により子どもを死なせてしまう。
過失致死として刑務所は免れたものの、ハドンフィールドの住人は彼を子供殺し、サイコパスなどと化け物扱いした。
それからさらに4年がたち、マイケルと因縁のあるローリーは穏やかな生活を取り戻し、今はトラウマと向き合い事件についての体験記を執筆している。
コーリーは将来を暗く閉ざされ悩みながら、ローリーの孫娘アリソンと仲良くなっていた。
しかし、今なおコーリーを糾弾する世間は厳しく、そのことがコーリーを追い詰めていった。
感想/レビュー
マイケル・マイヤーズは私たちの中に
今回を持って2018年から始まったマイケル・マイヤーズ新シリーズも幕引きということで、トリロジー最終章になります。
ここまで基本的には「ハロウィン」の続編として続いてきたシリーズ。1作目のくれた新しい視点が未だに私は好きです。
1作目は強烈な恐怖と暴力によるPTSDとしておもしろく、2作目は表現は全然好みではないですが、テーマとしては恐怖からくる暴力性、恐怖の伝播でありました。
今回最終幕として持ってきたのは、恐怖の内在。
暴力の化身、邪悪の象徴であるマイケル・マイヤーズを我々の内側に見つけていく旅なのです。
なので、そのテーマ性ゆえにマイケル・マイヤーズの活躍はめちゃくちゃ少ないです。全体通してマイケルは10分くらいしか出ていないんじゃないかな。
彼は恐怖とか怪物とかを象徴する存在であり、まさにシェイプでしかなくなっています。
ここは好みが分かれるかもしれませんですが、私は新しいアプローチとして楽しみました。
怪物を倒すために怪物に
今回怪物性を投影されたのは、新キャラのコーリー。
OPが秀逸だったと思います。よくあるホラー映画、そしてハロウィンお約束のベビーシッターと子どものシーンですね。
寝ない子どもに不自然に開いた扉。演出は往年のものですが、ここでみせた展開はフレッシュでした。
マイケル・マイヤーズよろしい立ち位置で映されるコーリー。OPシークエンスではかぼちゃの中から次々にかぼちゃが出てきます。
恐怖が内側にはびこり、怪物が生まれる。
ニーチェの引用が劇中でも出てきますが、怪物を倒すために怪物になっていく。
「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。 長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。」
怪物をマイケル・マイヤーズとして、今作はコーリーの内なる闇を追います。
周囲つまり環境によって怪物だと定義され虐げられた青年が、深淵をのぞき込んでそこに殺人を見る。
この構造はホラー映画だったり暴力的な映画を見て、観客が自身の暴力性を見つめる構図にも似ていて非常に興味深く感じました。
恐怖はゴシップである
凄惨な事件の被害者と、事故を起こしてしまった者。ローリーとアリソン、そしてコーリー。今作は消費されていく彼らの人生にも目くばせをしています。
実際のところ、1作目はその人生をみつめるところから始まっていました。
ローリーが生き残ったことが終わりであった初代。ですが、映画人物がその後も生きていたらどうなったか。その結果が恐怖に消費され40年過ごしたわけです。
ハドンフィールドの住人達はローリーとアリソンを自分たちが楽しむための”サバイバー”とし、そしてコーリーを”新たなブギーマン”として消費する。
ホラー映画を楽しむという行為も、根底にはこれがあります。
恐怖とは本来体験しないままでいる方がよいものの、スクリーンを隔てて散々な目に合った人物を眺めながら、ワイワイとポップコーン食べてるわけですからね。
結局はマイケルを出さなくちゃいけないので、その無理やり感があったり。
そもそもアリソンとコーリーがくっつく流れとかも急で、語りはめちゃくちゃなところがあります。
アホなところも支離滅裂なところもありますが、舌を使ったゴアギャグなんかは楽しかったですし、なにしろテーマ性、恐怖と暴力の探求に関してはおもしろく観ることができました。
本当にひとまずはこれでおしまい。
監督は今、あの「エクソシスト」のリブート?リメイク?を任せられているそうです。
そちらもトリロジーにするというのですが、それが良いことかは別として、楽しみに待つことにします。
今回の感想はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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