「ジョイランド わたしの願い」(2022)
作品解説
- 監督:サーイム・サーディク
- 製作:アポールバ・チャラン、サルマド・クーサット、キャスリン・M・モーズリー、オリバー・リッジ、エイプリル・シー、カタリーナ・オットー=バーンスタイン
- 製作総指揮:マララ・ユスフザイ、リズ・アーメッド、ラミン・バーラニ、ジェマイマ・カーン、ウィリアム・オルソン、ジェン・ゴイン・ブレイク、ティファニー・ボイル、エルザ・ラモ、オレグ・ダブソン、カトリン・ローマン、ハリ・チャラナ・プラサド、スカンニャ・プブラ、オワイス・アーメッド
- 脚本:サーイム・サーディク、マギー・ブリッグス
- 撮影:ジョー・サーデ
- 美術:カンワル・クーサット
- 衣装:ゾーヤ・ハッサン
- 編集:サーイム・サーディク、ジャスミン・テヌッチ
- 音楽:アブドゥッラー・シディキ
- 出演:アリ・ジュネージョー、ラスティ・ファルーク、アリーナ・ハーン、サルワット・ギラーニ、ソハイル・サミール、サルマーン・ピアザダ 他
伝統的な価値観に縛られたパキスタン社会で、自分らしく自由に生きることを望む若い夫婦の葛藤を描いたドラマ。
監督は、これが長編デビュー作となる新鋭サーイム・サーディク。本国パキスタンでは、LGBTQをテーマにした内容が保守的な団体から強い反発を受け、政府による上映禁止命令が一時下されたのですが、監督やキャストたちの抗議活動に加え、ノーベル平和賞受賞者マララ・ユスフザイらの声明もあり、最終的にその命令は撤回されました。
2022年、第75回カンヌ国際映画祭でパキスタン映画として初めて「ある視点」部門に出品され、同部門の審査員賞とクィア・パルム賞を受賞。批評面でもすごく高い評価を得ている作品です。
演劇出身で今作で映画デビューとなった主演のアリ・ジュネージョーのほかに、同じく今作で長編デビューのラスティ・ファルーク。アリーナ・ハーンはトランスジェンダーの方としてもともと活動もしているそうで、彼女も前に監督の短編で一緒に仕事をしています。
あまりマークしていなかった作品で見逃がしそうだったのですが、休みの日に調べている中で見つけて、評価の高さから気になり観に行ってきました。
平日に観てきたのであまり人はいなかったのですが、見逃さずに行ってきてよかったと思える作品です。
〜あらすじ〜
パキスタン第2の大都市であり、歴史的な古都ラホール。
保守的な中流家庭で育ったラナ家の次男ハイダルは失業中であり、家計を支えるのはメイクアップアーティストとして働く妻ムムターズだった。
ハイダルは同居している兄の子どもたちと仲が良く、子守が得意で家事もしっかりとこなしてムムターズを支えていた。
しかし、家父長制の伝統を重んじる厳格な父から、早く仕事を見つけて男児をもうけるようプレッシャーをかけられるハイダル。
ある日、彼は友人に紹介された就職先のダンスシアターでトランスジェンダー女性ビバと出会い、彼女の力強く自由な生き方に次第に魅了されていく。
一方でハイダルが仕事を得たことから家庭ではムムターズが家に残って家事をするべきだという話になってしまい、夫婦はお互いに望まない形の生き方に苦しんでいく。
感想レビュー/考察
押し付けないけれどパワフルで普遍的なドラマ
パキスタンの映画、そこでヒジュラとも言及されるトランスジェンダーの方を登場させる。さらに家父長制や保守的な家の在り方にも切り込む。
立派なテーマですが、教科書的な、説教的な作品になるかもしれない中で、この作品は非常にパワフルに様々な人物のドラマを描き出し、そして決して必要以上に語りません。
保守的な家庭像が人を追い込んでいく様に女性の自立、シスターフッド。自分の中のクィアを見つけていくことにマイノリティへの差別、年老いていくことの不自由さと寂しさ。
どれも含まれていますけど、どれかの話なんだと限定はしていなくて。
思っている以上にあらゆる人物の感情や彼らの思いが描き出され、決めつけたようなこともない。
間違いなくクィアの映画なんですけど、決してそれにとどまらない普遍さを持っています。
これは自分自身を見つけていく魂の旅であり、誰もが自分が自分である自由を追い求めるからこそどんな人にも響き渡っていく物語なのです。
監督自身の悩みから、世界中の人に響くような物語に
どんな国の人にでも響き渡るように作ったのは、監督の重要な思いだそうです。
インタビューでサーイム監督が答えているのですが、監督自身も家父長制などには悩んだ経験があり、自分自身のことを100%完全に知ったり表現することは難しいと感じているそうです。
そこであらゆる人の、二面性があるなんて言葉ではすまない、もっと複雑な感情を描き出そうとしたとのこと。そこではトランスジェンダーのコンサルタントを入れて、社会でぶつかる障害や悩みについては当事者の視点を積極的に入れ込んでいるようです。
この真摯な姿勢は間違いなく、パキスタンのラホールを舞台にした物語を、観る人にとって自分自身の物語だと思える素敵なものに仕上げています。
非常に美しい撮影と人物をぐっとフォーカスするアスペクト比
今作を語るうえでとても印象深いのは撮影でした。
画がとにかく美しいんです。ネオンライトのあるジバの部屋でも、ハイダルたちの家の中や中庭でも、路地裏に遊園地。様々な景色がとにかく綺麗。
ライティングは見事に調整されていて、もともとはドキュメンタリー出身のサーイム監督としてはあまり光を足すことは好まないらしいので、やりすぎない形にしたとのこと。
特に初めてハイダルとビバが二人きりで心通わせるシーン。ビバの部屋の中にはグリーンのネオンライトのレーザーが拡散していて、とにかく不思議でかけがえのない瞬間としての演出が素晴らしいです。
このレーザービームの案は撮影監督のジョー・サーデの案だそうです。
また、監督は過去作でも使っているらしいですが、今作ではアカデミーレシオ、つまりほとんど正方形にも見えるようなアスペクト比が使われています。
これは特に人物の表情を映し出す際には、左右に余計な空白や情報が入らないため効果的に見えます。
とにかく今作は人物のドラマという点、彼らの心にフォーカスしますので、このアス比でのとらえ方は良いですね。
加えて、カメラはあまり静ばかりではなくて、ズームインやズームアウトを繰り返していました。事態が動いていることと、人物もまた変わらないままではなくて変容していることを示すようでした。
なぜ自分の望むままに生きることが、こんなにも苦しいのか。
繊細で子どもが好きで、家庭のことをすることにとても向いているハイダル。学生時代の演劇ではジュリエット役を演じたことがあるという意味では、ほのかに女性的な要素も持っているのかもしれない彼。
自立している二人の女性の、環境の違い
ハイダルがビバに惹かれていくのは、美しさなどもあるでしょうけれど、自分らしく選択して生きているからだと感じます。ビバは口達者で負けず嫌い、自分がやりたいことははっきりという女性です。
キャリアを磨き、職場でのピンチでは機転を利かせているムムターズ。彼女も自分のキャリアを選んでいこうとしますが、家に閉じ込められてしまう。ビバとは対比的に見えてきます。
ビバは外で働く女性で自立している。しかしムムターズはもっと保守的な女性像に縛られてしまうのです。
OPでの描きこみがすごく秀逸で、水を汲んで来ようとするハイダルを父が厳しく止めて、ムムターズに代わりに汲みに行かせるんですよね。ムムターズに対しての圧は、さらに男子をもうけろと言う意味でもあります。
男子を求められるのは、兄夫婦も同じで、ハイダルにとっての義理の姉ヌチは女の子を3人もうけていますが、序盤では妊婦であり、男子がついに生まれると言われていました。結果女の子が生まれると、あからさまに夫にも義理の父にも失望されてしまう。
それができないならいる意味がないと言わんばかりの環境では、生まれた子を抱くこともできないヌチの気持ちも痛いほど伝わります。
交わらなかった人たちが交わり始め、生きづらさが見えてくる
ヌチは家にいるようになったムムターズとはたくさん会話するようになる。
すると二人のシスターフッドとしての可愛らしいやり取りや、ヌチもインテリアデザイナーの道をあきらめていることが分かってきます。
交流が進んだことでムムターズとヌチは一緒に遊園地に行きます。そしてそれによって、お隣の奥さんが父と過ごすことになり、そこでは置いてきぼりにされる老人やフィジカルな不自由さも見えてきます。
自然な人物たちの交流の中に”諦めた自分”が見えてくることで、すべてのキャラクターにそれぞれの深みを与えていて素晴らしい。
ハイダルは自分らしく生きるビバに惹かれていくものの、セクシュアリティなどはあいまいで過ちを犯してしまう。それでもビバとの交流で自分自身を少しでも理解して、言い返すようになっていく。
家父長制に殺されてしまった女性
一方でムムターズは家父長制に飲まれてしまいました。
夫婦のベッドには姉の子どもが投げ込まれ、セックスもできず、不満がたまる。妊娠も何もかもが、望んでいる人生ではない。ムムターズではなくなってしまう中で、最終的には自らの命を絶つという選択をしてしまうのです。
お葬式の後でのケンカでは、ヌチが「私たちがあの子を殺したのよ。」というシーンがはっきりとした声明に聞こえます。
個人的には兄があまりにひどいことをいうのがとても許せないです。。。
ですが、彼自身、長男なのに男子を持てずにいて、ムムターズが男の子を生むことで自分とヌチにかかっている重圧から解放されるはずだったから、あそこまで憤っているのかと推察はできます。
自分らしくいれる相手との結婚が崩壊した
最後に持ってくる回想シーン。
家が決めた結婚の話とは別に、個人でムムターズに会いに行ったハイダル。
「嫌なら結婚しなくていい、断るのは難しいだろうから、僕から断りを入れることもできる。」
「仕事はしたい。それが良ければ。」
ムムターズにとっても、ハイダルにとっても、お互いが本当に理想の相手だったのですね。
何もかもうまくいくはずのこの夫婦が、最後に迎えてしまった結末があまりにも苦しく切なく悲しい。
それでも、抜け出せなかったムムターズに重なるように、今度はハイダルが家を出て、大きくすべてを受け入れるような海に入っていく。
もしかすると。。。という考えもよぎってしまいますが、きっとこの大きな海に自由を見出したと思いたいエンディングでした。
ちょっと本当に思ってもいないほどに感情がいっぱいになって、素晴らしい映画だってことを伝えたくても全然言葉にできなくて困るんですが、お勧めです。
パキスタンからのどんな人にも見てほしい、あなたの物語。
これまでは短編作品のみだったサーイム監督がここから先どんな作品を送り出していくのかも本当に注目ですね。
ちょっと長めの感想になりましたがここまでです。ではまた。
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