「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」(2019)
- 監督:グレタ・ガーウィグ
- 脚本:グレタ・ガーウィグ
- 原作:ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』
- 製作:エイミー・パスカル、アーノン・ミルチャン、デニス・ディ・ノヴィ、ロビン・スウィコード
- 音楽:アレクサンドル・デスプラ
- 撮影:ヨリック・ル・ソー
- 編集:ニック・ヒューイ
- 衣装:ジャクリーヌ・デュラン
- 出演:シアーシャ・ローナン、エマ・ワトソン、エリザ・スカンレン、フローレンス・ピュー、ティモシー・シャラメ、ローラ・ダーン、メリル・ストリープ、ジェームズ・ノートン、ルイ・ガレル 他
「レディ・バード」で監督デビューを果たした俳優グレタ・ガーウィグが、ルイーザ・メイ・オルコットの名作「若草物語」を再び現代に蘇らせ映画化。
4姉妹をそれぞれエマ・ワトソン、シアーシャ・ローナン、エリザ・スカンレン、フローレンス・ピューが演じ、幼馴染のローリーにはティモシー・シャラメ。
母親役にはローラ・ダーン、また伯母役ではメリル・ストリープが出演しています。
批評家からの高い評価、アカデミー賞では主演女優、助演女優、脚色、作曲、衣装デザインの6部門のノミネート、衣装賞を獲得しました。
ちなみに私は「若草物語」にはとても疎いです。原作を読んだこともなく、映画はマーヴィン・ルロイ監督の49年版を昔一度だけ観た程度、よく覚えていません。
元は3月に公開の予定でしたが、コロナウイルス感染症の拡大により延期され、6月の公開にずれ込み。
初週末に結構大きなスクリーンにて観ました。まだまだ感染症の影響もあるため観客の数こそ少なめではありましたが、比較的若い層も見受けられましたね。
1860年代、南北戦争に出征した父不在の家の中、マーチ家の4姉妹はそれぞれできることをして母を支えながらつつましく暮らしている。
長女メグは理想の結婚相手を探し、侍女のジョーは作家になる夢に突き進む。そして三女ベスは自身も病気がちながらも人のために尽くす優しい少女で、四女のエイミーはお金持ちとの結婚で幸せをつかもうとしていた。
隣人のローリーとの出会いやさまざまな楽しい想い出、苦難、事件を乗り越えて、姉妹はそれぞれたくましく成長していく。
「レディ・・バード」で成長していく少女を、自伝的に語りその愛らしさや切なさまで見事に描いたグレタ・ガーウィグ監督。
彼女の新作は古典中の古典である若草物語であり、続若草物語も含めての映画化になっています。
今作は時系列を大きく再構成した作りをとっていて、主にベースは成長しそれぞれの道を歩み始めている姉妹たちが、瞬間的に過去の想い出を振り返っていくという構成。
これ自体に私はすごく監督らしい感じを観てしまいました。
つまり、姉妹たちがある意味で無邪気だったころや、そこまで大きな苦労、胸を裂くような別れを経験した後がメインの視点なんです。
今更変えられない無垢な頃を振り返りながら、それを糧にして”今”を生きていくというのが、回顧録的な感覚。
もちろんあまりに何度も語られる若草物語の再度の映画化に、なにかフレッシュな構成を持ってくる意味もあるかと思います。
ただ、この仕組みになっていることで、私としては少女時代ド真ん中よりはむしろ、そこから少し成長し大人になっている人に向けられた作品に思えました。
その今と過去の対比の中でとりわけ強く感じるのは、色彩や照明、撮影による強弱や温度です。
全体を通してプロダクションデザインも衣装もスバ抜けていています。
衣装賞とってるとのことで、自分の良かったところでは、姉妹それぞれのカラーが衣装にでているところとか、あとジョーは絶対にコルセット付けなくて彼女らしい性格を示していたりするところですね。
それに、ロケ地など含めて時代をしっかり感じるだけでなく、自分がその場にいて、木々のざわめきや雪が降ってすんだ空気、家の中のぬくもり、朝のひんやりとした部屋など、全身に感じられます。
そういう意味ではかなり体験型の映画でもありますね。
そして過去の回想シーンは、基本的に暖色系のライティングにまとめられ、鮮やかさがモノや衣装にあり何もかも生き生きして見えます。
その一方で現在の時制においては、どこか色彩は薄れ寒色が強いような感じで、この対比がノスタルジーにも働いていると思います。
もちろん、時制を行き来する上で大きな役割を果たしているのは俳優陣。
みんな素晴らしいです。シャラメも、監督とは前作に続いて主演で組んでいるシアーシャ・ローナンももちろん。とりわけ言いたいのはフローレンス・ピュー。
彼女が素敵すぎる。エイミーが一番好きなキャラクターになるほど、彼女の演技は輝いていました。
私にとっては一番大きな変化のある女性で、すごく末っ子らしいわがままさや活気がある少女時代から、自分の果たすべき責務に気づきそれを抱え、あるいは悩んでいる成長した今との演じ分けが素晴らしい。
子どもの頃のルックス命、ちょっと鼻高くなりたい奮闘とか、憧れ交じりなのかエイミーだけ食卓でナプキンを前掛けにしてたり、すごく可愛らしい。
それでもヨーロッパに来てからは、自分の限界に向き合いながらも必死に家族のためにけっこう抑圧されてる。
表情一つで、あのエイミーがなんだか追いつめられてるなと、そしてローリーというある意味変わらず存在する幼少期へのリアクションも良いですね。
エイミーがローリーに厳しいのは、単純に遊び歩いているからではなくて、嫉妬もあるように感じます。
自分は捨て去らなければならなかった無垢さや稚拙さを、彼は持ったまま生きているのが羨ましいのかなと。
ちなみにフローレンス・ピュー、あの「ミッドサマー」の撮影終わった直後に今作の撮影開始だそうで、彼女にとってはエイミーを演じたり他の俳優と過ごすのが一種のセラピーになってよかったとかw
色々観ていくと、とっても普遍的な作品。
それはもちろん、オルコットの原作がとにかく時代の先を行っているということもあるでしょうが、今作においてはグレタ・ガーウィグのバランスの取り方が絶妙なおかげだと思います。
フェミニズム、女性が自分自身の人生をコントロールする権利と力、連帯。
人種差別的な部分含めて、今まさに語られるような部分を入れ込み、”昔の価値観”なのでしょうがないという部分はないです。
でも、だからと言って、露骨な現代アップデートに感じる部分や、若草物語を借りて身勝手に主張しようという違和感もありません。
ごく自然な形でありながら、やはり今の女性観をしっかりと描いています。
皮肉ですが、ここでの悩みのほとんどは現代人や若い人すべてが抱える不安であり怖れであり怒りであり。
エイミーがローリーに対して女性としての所有権の話をするシーン。
あのシーンは、実は脚本にはなく、メリル・ストリープの進言で追加されたとのことで、現代の観客に対しより当時の女性の立ち位置を示したかったそうです。
個人的には日本においても世界においても、いまだ根を張っている女性蔑視的システムにも思えたので、現代にも通じるかと思います。
私は原作と、そもそもオルコットが若草物語を出版する上での編集長とのやり取りなど全然知らないのですが、ラスト近辺の作りは意外でした。
第4の壁破ってるのかと思う感じでカメラ目線で話しかけてきましたし、最後のシークエンスは事実なのか小説内にとどめたフィクションなのかどちらにもとれるかと思いました。
その上で、自分のものをしっかりと主張することは、結局は男性に所有権を握られるというエイミーの話に対するアンサーであると感じます。
また、結末の書き換えや交渉というのが、まさにジョー、つまり女性が自分の人生をコントロールできるという力を感じてすごく好きです。
正直邦題が決まった際には長いし変だなと思いましたが、今はこれでいいと、正解だなと感じます。
これはまさに4姉妹を通してみる、私の人生の物語であり、そして間違いなく今の世代の人々にとっての”わたしの若草物語”になっているのです。
絶妙な古典の現代への紹介、突き詰められたすべてのデザイン、人物を再び生き返らせる俳優たち。
感情的で優しく思いやりがあり、自分の糧になって生きる力をくれる、素敵な作品でした。
グレタ・ガーうぃぐ監督は間違いなく力のあるアクター・ディレクターでしょう。彼女の次の作品も非常に楽しみになります。
映画館でぜひ鑑賞してください。今回の感想は以上です。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
それではまたつぎの記事で。
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