「Shirley シャーリイ」(2020)
作品解説
- 監督:ジョセフィン・デッカー
- 製作:エリザベス・モス、ジェフリー・ソロス、サイモン・ホースマン、スー・ネイグル、サラ・ガビンズ、クリスティーン・ベイコン、ダビド・イノホサ
- 製作総指揮:マーティン・スコセッシ、アリソン・ローズ・カーター、アリサ・テイガー、シャー・ホーリシュ
- 原作:スーザン・スカーフ・メレル
- 脚本:サラ・ガビンズ
- 撮影:シュトゥルラ・ブラント・グロブレン
- 美術:スー・チャン
- 編集:デビッド・バーカー
- 衣装:アメラ・バクシッチ
- 音楽:タマール=カリ
- 出演:エリザベス・モス、オデッサ・ヤング、マイケル・スタールバーグ、ローガン・ラーマン 他
アメリカの怪奇幻想作家シャーリイ・ジャクスンの伝記を基にしながら、現代的で斬新な解釈を加え、現実と虚構を交錯させた心理サスペンス。
「空はどこにでも」のジョセフィン・デッカーが監督を務め、「ハースメル」や「透明人間」などのエリザベス・モスがシャーリイを演じています。
また「君の名前で僕を呼んで」のマイケル・スタールバーグ、「帰らない日曜日」のオデッサ・ヤング、「ウォールフラワー」のローガン・ラーマンが共演。
作家シャーリイ・ジャクソンについては詳しく知らないのですが、アメリカ文学史においてもS・キングほかのホラー作家と並んで、もしくは彼らを越えて高い評価を得ていて多大な影響を持っている方のようです。
~あらすじ~
1948年、『ニューヨーカー』誌に発表した短編「くじ」で一大センセーションを巻き起こしたシャーリイは、新しい長編小説の執筆に取り組んでいたが、スランプから抜け出せずにいた。
夫で大学教授のスタンリーは、引きこもりがちなシャーリイを執筆に向かわせようとするがうまくいかない。
そんなある日、一組の夫妻が居候としてやってくる。スタンリーの助手として職を得たフレッドは、妻のローズと新居が見つかるまでの間、無償で部屋と食事を提供する代わりに家事や妻の世話をするという共同生活を始める。
家に他人が入ることを嫌っていたシャーリイだったが、自分の悪態にも屈せず世話を焼くローズに次第に心を開き、執筆のインスピレーションを得るようになる。一方、ローズはシャーリイのカリスマ性に魅了され、二人の間には奇妙な絆が芽生える。
しかし、この風変わりな家に深入りしてしまった若い夫妻は、自分たちの愛の限界を試されることになるのだった。
感想レビュー/考察
怪奇小説のような不安と怖さの中に不思議な解放がある
この映画よく分からない。よく分からないけれどなにか奥底の声を、少しだけ聞くことができて、そして解放が意外な形で示されたような清々しさがありました。
全体にはホラーというか、どこか常に不安と怖さを抱えている作品になっていて、怪奇小説を書く作家の執筆活動とそこに居候することになった夫婦の体験自体がホラーのように感じます。
終始ドキドキするし、何か事件が起きそうな雰囲気。
そしてそこにはずっと不快さと居心地の悪さがある。それはシャーリイが自身を言うように「魔女」だからなのか、彼女をそのように表現し傷つけそして抑圧を加え続ける男たちのせいなのか。
シャーリイはローズたち夫婦が訪れた初日の夕食で、すでに直接的な不快な発言を連発します。ローズの妊娠を暴露し、彼が夫かは生まれればわかるね。なんて言ってしまう。
すぐにその発言に不快さを示して夫婦は部屋に戻ってしまいますが、彼女の怪しさや魔性の感覚ってすでに出されている。でも一貫していて嘘はないのも事実です。
幻想の魔女の家
全体の美術、撮影はとても幻想的に見えます。カラーは多いけれどどこかぼやッとした印象もあってあまりエッジがありません。
幻惑を思わせるようなライティングなんかに加えて、シャーリイが執筆中の小説に関しての想像のパートなんかもあったりして。
近くに森もあって、また大学のパートもあったりしますが、基本的にはこのシャーリイの家を舞台に、あまりそこから出て行かないために、より不思議な感覚になりました。
セックスから見える夫婦関係の変化
今作はフィクションですが、ここに描かれている2つの夫婦関係はとても真実味をもって描かれていました。
奥底には女性に対する抑圧があり、その共通項をもってシャーリイとローズは繋がっていく。魔女に毒されたと言ってもいいかもしれませんが、しかし、魔女になっているならばそこには理由があり、それはローズにもある要素です。
ローズはOPで夫のフレッドと列車でやってくる。その途中でローズから夫を誘い、車内でセックスします。この作品では性的な部分が夫婦間の在り方に投影され描かれています。
ローズがしたいときにフレッドは断るようになる。疲れているからと。その逆もありつつ、ローズが強気にリードするようになる。するのでもなく、させるのでもなく、支配する。
魔女に触れて自分自身に目覚める少女
ローズの変化は間違いなくシャーリイによるものでしょう。
彼女はシャーリイと過ごすうちに彼女の才覚に惚れる以上に、自分自身を突き動かされたのだと思います。それは「あなたはなぜ逃げないの?」という言葉にあったかも。
ここでは魔女と呼ばれて不快な発言をするシャーリイから、なぜローズは逃げないのか?という意味になっていますが、同時にローズを囲う家父長制にも関係があるように感じます。
ローズは自分自身学問の道を歩んでいたようですが、フレッドと出会いそして妊娠もあってそれはあきらめた。さらに今では完全に家政婦のような立ち位置になっていて、家の掃除に料理の準備まですべて彼女が行っている。
なぜそこから逃げ出さないのか。
シャーリイは周囲からどう言われても、そして夫の浮気を含めても、自分自身のしたいことを貫いていく。それがローズを変える。
女性への抑圧と醜悪な男性
醜悪な男性性や家父長制も描きこまれていて、そこはマジでキモいです。フレッドは平気で女学生とヤリまくっているし、浮気の点はスタンリーも一緒。
彼はローズへのボディタッチの多さからも、まるで自分の妻かのように(もしくは使用人)あれこれと料理の注文をしたりします。あまりに自然に女性を下に見ているような感じがあります。
ローズへのキスはさすがにやりすぎですし。
ただし、難しいというか不可思議なのは、このスタンリーとシャーリイの夫婦関係を勝手に判断はしていないように感じるところです。
確実に創作に対しては、この知識ある二人のぶつかり合いが何か貢献しているように感じますし、この二人は二人にしか分からない高度なレベルでの共生をしているんだとは理解できます。
不思議な夫婦関係については監督もインタビューで語っていました。
見過ごされてきた女性たちに解放を与えるの力
それでもローズは進化する。
この過程はシャーリイの見る、執筆中の『絞首人』に対してのイメージでも示されます。それまでは顔がぼやけていて見ることのできなかった主人公の女性。その顔がローズのモノになっていく。
ローズもまた「見過ごされてきた存在のない女性」だからです。不在になって初めて存在を認知されるような。
はっきりと顔が見えたとき、ローズは背負わされてきた役目に反抗し本当の意味で存在を勝ち取ったのです。
これこそがシャーリイの力なのでしょう。デッカー監督がシャーリイを描くとして、伝記映画なのにフィクショナルな存在であるローズを入れ込んだのは、こういう力があることを示すため。
シャーリイの書き出す小説には、どこか不安と怖さを持っているのに、それを読む女性たちに自立と解放を与えてくれる。
もういなくなってしまうことでしか私に気づいてもらえないと思い詰め崖の縁に立つ少女を、その横に並び立ってくれるのですね。
エリザベス・モス、そしてオデッサ・ヤング。怪しげであり冷たいのに脆いシャーリイに、無垢に見えながらもシャーリイの攻撃に反撃までしてみせるローズ。二人が学びあい共鳴する。
とにかくエリザベス・モスにもオデッサ・ヤングにも驚かされます。本当に素晴らしい演技でした。
役者も脚本も映像も、すべてが見どころになっていてこんな不可思議な形での女性の魂の解放があるなんて、と驚かされるような作品でした。良かったです。
今回の感想はここまで。ではまた。
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