「透明人間」(2020)
- 監督:リー・ワネル
- 脚本:リー・ワネル
- 原作:H・G・ウェルズ、ジェイムズ・ホエール『透明人間』
- 製作:ジェイソン・ブラム、カイリー・デュ・フレズネ
- 製作総指揮:リー・ワネル、ローズマリー・ブライト、ベン・グラント、ベアトリス・セケイラ、ジャネット・ヴォルトゥルノ
- 音楽:ベンジャミン・ウォルフィッシュ
- 撮影:ステファン・ダスキオ
- 編集:アンディ・キャニー
- 出演:エリザベス・モス、オルディス・ホッジ、オリヴァー・ジャック=コーエン、ストーム・リード、ハリエット・ダイア― 他
「アップグレード」のリー・ワネル監督が、ジェイソン・ブラムのブラムハウスの制作で古典モンスターである透明人間をよみがえらせた作品。
主演は「Her Smell」などの注目女優エリザベス・モス。また彼女を保護する警察官役にはオルディス・ホッジ、そして主人公セシリアを追い詰めていくのはオリヴァー・ジャック=コーエン。
透明人間というと、もちろんユニバーサルクラシックの1933年のものがあり、今作はそれのリメイク/リブートになりますが、私は世代的にもケヴィン・ベーコンの「インビジブル」も印象が強いです。
そもそもは「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」に続くダークユニバース作品として、ジョニー・デップ主演で透明人間はスクリーンに蘇るはずでしたが、なにせ1作目がさんざんなコケっぷりで、今回は話はとりつつ、ブラムハウスで独立展開されたことになります。
元々GW映画の中で注目作でしたが、コロナの影響で延期に、それでも7月に観れることになったのは本当にうれしいです。
作品の批評の良さなどから、本国アメリカでもわずかな公開期間でありながらかなりの興行数字をたたき出しています。
私は公開週末に観ましたが、土曜の朝っぱらだったためかそこまで混んではいませんでした。
セシリアは、光学の天才的研究者であり莫大な資産を持つ事業者エイドリアンと暮らしているが、彼の暴力性や精神的な虐待に耐えかね、ある夜に決死の脱出を図った。
セシリアは妹の助けで警官のジェームズと彼の娘シドニーの家に迎えてもらったが、彼女にはエイドリアンの存在があまりに大きな恐怖であり、外に少しでも出ることが怖かった。
そんなある日、エイドリアンが自殺し、彼が遺産をセシリアに残したとの知らせが入る。
自殺の事実が信じられないセシリアだが、ようやくエイドリアンから解放され新しい人生を歩めると気分も明るくなっていた。
しかし、セシリアは自分の周りに何かの存在を感じるようになり、目には見えないが、エイドリアンは生きていて、彼女のそばにいると確信する。
この作品はもちろん、古典的な透明人間という、今からしてしまうと古いモンスターの要素を再び取り上げる試みであります。
しかし、その透明人間というモンスターを、現代において非常に重要なテーマである、DV、精神的な虐待と掛け合わせ、透明人間がその暴力性の化身であるという投影により非常に新鮮味あるミステリーホラーに仕上がっています。
根幹に横たわるテーマ性は後に掘るとして、まずは主演のエリザベス・モスの素晴らしさです。
自分が彼女が好きなのもあるんですが、やはりたぐいまれな俳優であると思います。(精神的に不安定になるほど最高に味わい深いw)
DV被害者として、彼女は常に(透明人間としての話が始まる前から)その加害者の存在に覚えているわけです。
その彼女のリアクションに含まれる薄っすらとした狂気性は、プロット上大事になる、他人から見るとちょっと頭おかしい人感が出ています。
明るく振る舞うシーンや必死に説得しようとする場面含めて、観客にはちゃんと信じていい主人公と認識させつつ、他の登場人物から見ると疑わしい。
妹とのレストランシーン、しっぽをつかんだのでちょっと得意げで笑っているんですよ。でも不健康そうな顔で充血した目で笑みを浮かべてるので、傍から見るともう精神的にヤバイ。
そういう繊細な部分でのバランスとかほんと素敵です。
また撮影や音響などの作りも、この透明人間という材料を最大限に活かしています。
目に見えない存在であるということを利用したカメラパン、固定カメラでのただの空間の撮影も、観客側が勝手にそこにいるのかもしれない、ここにはいないかもしれないという想像をし、非常にスリリング。
ある意味サボってると言っていいくらいです。
開いたドアに向けてカメラ回してる映像だけで、観客が勝手にハラハラしてくれるわけですからね。非常にスマート。
カメラワークに関してはワンカットの頑張り具合とか、あと「アップグレード」の時も魅力だった、通常の人間ではないゆえの動きによる人体の線への固定ショットなど相変わらずクール。
小道具や舞台設定を周到に準備しているのも好印象です。
催涙スプレー、塗料、消火器、監視カメラなどのアイテムが事前紹介されていて、後々に活きてくるのも、導線引きとして見事と思いますし、スタイリッシュなOPの表現が、のちの雨という舞台設定につながるのも巧いところです。
主演の力、現代的アップデートありでの題材のメディアとしての取り扱い方。
隙の少ないミステリーとしてパーツが組みあがっていく気持ちよさのようなものも感じながら、今作はっ間違いなく現代におけるモンスター、またはモンスター退治のお話になっています。
虐待的な関係性に陥ってしまい、逃れることができない女性。「ガス燈」のようにすべては自分のせい、自分が悪い、自分がおかしいんだと考えるように仕向けられ押し込まれる残酷な虐待が行われる。
しかしその手法ゆえに、まさにその暴力は目に見えないのです。
他者から見れば、とても仲が良く不自由のないパートナーシップであり、どちらも健やかな善人に見える(もしくは被害者側の方が不安定で、加害者はそれを支える献身的な者にすら捉えられるでしょう)。
助けを求められない苦しさ、他の人には見えない暴力を、そのまま透明人間というモンスターに投影させでDVを取り上げる、エンタメと今目を向けるべき問題の融合作品と思います。
透明人間というのははもちろん、エイドリアンのような男の”見えない一面”という意味もあるでしょうし。
映画のようなモンスターにかかわらず、あまりに過剰な精神的虐待というのは、その加害者が頭から離れず、どこにいても隣で見張られていると感じるほどに人を追い詰めるものです。
今作は古典的透明人間を見事に復活させるだけでなく、現代で語られるべき話と合体し集結させた秀逸な作品でした。
音響やカメラワークなど映画館で体験するのにふさわしい作品なので、是非劇場での鑑賞を強く勧めます。
今回の感想は以上。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それではまた次の記事で。
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