「白い肌の異常な夜」(1971)
- 監督:ドン・シーゲル
- 脚本:ジョン・B・シェリー、グライムス・グライス
- 原作:トーマス・カリナン
- 製作:ドン・シーゲル
- 音楽:ラロ・シフリン
- 撮影:ブルース・サーティス
- 編集:カール・パインジター
- プロダクションデザイン:テッド・ハワース
- 美術:アレクサンダー・ゴリツェン
- 出演:クリント・イーストウッド、ジェラルディン・ペイジ、エリザベス・ハートマン 他
ドン・シーゲル監督とクリント・イーストウッドコンビによる作品。
タイトルはなんだかちょっとエロティック映画な雰囲気で、もちろんエロスはある映画ですが、中身はもう怖い怖いサスペンス。
今作品では女子学院の院長を大女優ジェラルディン・ペイジが演じていますよ。
実は小学生の時に初めて観たのですが、そのころイーストウッドと言えばハリー・キャラハンや名無しの男だった私にとっては、根底から突き崩すような衝撃の作品でしたね。
同年にイーストウッドが監督デビューした「恐怖のメロディ」と同じようなテーマ性が観られる作品です。
南北戦争下。戦場となった森で負傷し、友軍とはぐれてしまった北軍兵士マクバニー。
そこに偶然少女が通りかかり、彼は彼女が住んでいる女学院へと連れられ治療を受けることになる。森の中で自給自足、女たちだけで暮らしているところに、敵の兵士が運ばれることに動揺はあったものの、人助けのためにマクバニーを受け入れる。
容体が良くなればすぐに南軍に捕虜として突き出すつもりだったが、女だけの世界に突如現れた男に、隠されていた欲望が動き始める。
端的に言えばイーストウッドがモテモテになって、女学院の熟女から先生からマセたティーンも、はては幼女まで相手にする超絶ハーレム映画。
ビックリするくらいどの女でも優しく気のあるフリで落としていくマクバニー。そしてそんな男にホイホイと体を差し出すティーンに、初心な先生などいろいろな面で背徳感がある作品。
確かにエロスはありますが、やはりシーゲル監督、乾いてんですよ。
ちょっとやり過ぎにエロくならないのは、シーゲル監督のバランスのとり方と、ある意味徹底して淡々とした運びによるものでしょう。変に抑揚もつけず、それがかえって恋愛ではなく肉欲である点を際立たせます。
恋愛ドラマではないのですね。その点を守ろうと徹底して演出を調整していますので、どこか感情移入を許さない点はあります。
完全なる異界と化す今作の女学院。女たちの心の声、独白が観客には聞こえるのですが、秘められた女の性、いや人間としての性欲ばかりがこだまし、口から出る綺麗ごととの対比が強まります。
各人物にかなり象徴的な背景説明が置かれ、実は綺麗に見えるこの女学院には相当興味深い過去を持つものが集まることが分かりますね。
肖像画が繰り返し映される院長マーサは近親相姦。エドウィナは父が姦通の罪を。マーサの兄は他の子供を強姦したような描写さえあります。
性的な倒錯がそこかしこに蔓延しているのです。
やはりジェラルディンのマーサは際立って恐ろしいでしょう。彼女自身が歪んでいるとともに、設定上化粧などもしないわけでより老いが目立つ。
それが余計に若い男女への嫉妬なども感じますからね。彼女に対するライティングも素晴らしいと思います。
確かにマクバニーは、そのフラッシュバックに映る、野を焼く炎に象徴されるように、畑を耕し命を育てる女たちの社会を破壊する者なのかもしれません。
もっと言えば、それは男性というものを表していると言っていいでしょう。
しかし、そんな男性に対して、逆に女たちの欲望が勝る。マクバニーは、支配するといういかにも男性的な行動に出るものの、結果は逆。彼こそがこの女たちに囲まれ縛られた奴隷です。
“I’m nobody’s slave”「オレは誰の奴隷にもならない」という台詞が後で皮肉に反芻されます。
この女たちの世界を楽園にしようとしたのか、マクバニーは男の欲を全開にしていくのですが、彼は自分の立場をわかっていなかった。
報復以上に、完全なる奴隷と依存状態のために足を奪われたマクバニー。
始まりと対になる終わりのシーンでは、足をひもにからめられたカラスが映り、最後は死んでしまいます。途中の歌でもカラスは登場していますね。
OPとED。戦争の死体で始まる今作は、またしても兵士の死体で終わっていくのですが、観終わる頃にはあのOPの死体がなぜそうなったかの意味すら変わってくるのです。
もしかすると、この何事もないように見える学校のような、誰もが平和だと思う場所で、誰かが死んでいるのかもしれません。
映画はセピア調に戻り、まるでこれがおとぎ話であるかのように幕を下ろす。
シーゲル監督は今作で人間の欲望を男女ともにむき出しにします。ただ、それだけではなく、ここで男一人と女社会の構図をとることで、男性性の崩壊を描いていると感じます。
社会というのは男で回っている、それはどれだけ理想を持ってもやはり覆りにくい。しかし今作では女性が社会を作っています。その中では男らしさとか男性的な強さなんてものは、虚しく壊される。
私個人としては、女性への賛歌的とも、女性たちの復讐映画とも捉えている作品です。これはぜひとも一度観てほしいですね。
そんなところで今回はおしまいです。それでは、また~
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