「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(2017)

  • 監督:スティーブン・スピルバーグ
  • 脚本:リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー
  • 製作:エイミー・パスカル、スティーブン・スピルバーグ、クリスティ・マコスコ・クリーガー
  • 音楽:ジョン・ウィリアムズ
  • 撮影:ヤヌス・カミンスキー
  • 編集:マイケル・カーン
  • 出演:メリル・ストリープ、トム・ハンクス、サラ・ポールソン、ブルース・グリーウッド 他

アメリカ国防総省がベトナム戦争を分析、記録していた機密文書であるペンタゴン・ペーパーズの存在を暴露した、ワシントンポストの2人のジャーナリストを描いた作品。監督は巨匠スティーブン・スピルバーグ。

出演するのは「マダム・フローレンス!夢見るふたり」(2016)のメリル・ストリープ。本作で彼女は再びアカデミー賞主演女優賞にノミネート。また「ブリッジ・オブ・スパイ」(2015)に続いてトム・ハンクスも再びスピルバーグと組んでいます。

その他「キャロル」(2015)のサラ・ポールソンや「ザ・シークレットマン」(2017)のブルース・グリーンウッドらも出演。

公開後すぐ、4月のファーストデイで観たのですが、感想がだいぶ遅れましたね。

当日はまあファーストデイってこともあってかなり混んでいました。あとTOHOシネマズ日比谷がオープンしてすぐだったこともありますけど。

泥沼化したベトナム戦争下の1971年、ニューヨークタイムズがベトナム戦争に関するアメリカ国防総省の機密文書”ペンタゴン・ペーパーズ”の存在をスクープする。

それは絶対に勝てないという状況を知りながらも、絶えず若者を戦地に送り続けるという内容であり、ニューヨークタイムズと争う新聞社であるワシントンポストも、その文書を手に入れようと躍起になっていた。

しかし、アメリカ政府側は、これらのスクープを政府の機密事項の漏洩として、犯罪行為とみなしメディアを攻撃した。

ワシントンポストの社長キャサリン・グラハムと、編集主幹のベン・ブラッドリーは、国を相手に裁判を闘う事を余儀なくされながらも、メディアの在り方を信じて戦うのだった。

「ブリッジ・オブ・スパイ」(2015)に続いて実話ベースの映画となりましたけども、スピルバーグ監督の持つ、エンタメに仕上げてしまう手腕はやっぱ素晴らしいものだと再確認したような作品でした。

伝記、社会派映画と言うのはどうも堅苦しくなりがちで、しかし緩くなんてしてしまえばその本質を失ってしまうものですから、スピルバーグ監督が本質的な問題を外さないようにしつつも、しっかり一つの娯楽的な映画として楽しく観れる点は素敵です。

今作もベトナム戦争の裏側においてひた隠しにされてきたアメリカの暗部を扱いながらも、一つプロフェッショナルなチームがタイムリミットに向けて奮闘するワクワク感があったと思います。

実際はものすごいリスクと、なんなら社会的そして命の危険すら感じるような怖い話でもあるのですけども、そういう苦悩も捨てずに、しかし暗く重くはなりすぎないバランスが良いですね。

軽快なテンポで進んでいく点も、息苦しくない理由かもしれません。

エンタメ感という部分では、映像に楽しい要素がありました。

もちろんユーモアの効いた会話も楽しい部分ですが、今回は新聞、その印刷マシンがご丁寧に映し出されていて、稼働する小気味のよさがもはや一種のフェティシズムのようでした。

それこそ50年代の作品などでは、新聞が高速で刷られていくシークエンスがよく使われていましたが、個人的には2017年にこれをやるというのがおもしろかったです。

また、その大きな機械の稼働というのは、目には見えない圧力や統制にたいする反撃の音でもあるわけで、ここを丁寧に見せていくのは大事なのかなとも思います。

この政府による隠蔽に立ち向かう上で、あくまで私としてですが、新鮮に感じたのが、今作の登場人物たちが上層部の人間であることです。

それによって、今まで観た作品でいうと「スポットライト 世紀のスクープ」(2015)に近いドラマが生み出されていました。

攻撃対象に、間接または直接的に、主人公たちが関わっていることです。

何らかの不正があると感じつつ、しかし摘発すること=友人を窮地に追い込むことになってしまいます。

公私がとても密接にある状況で、メリル・ストリープ演じる社長は決断を迫られます。

メリルの演技もとても良いですし、彼女を観ていると女性の自立した行動と決断がアメリカ社会を照らしたようにも思えますね。

始まって割りとすぐの社内会議では、彼女は話を遮られ、そして彼女自身がとても自信なさげでした。

そんな彼女が強い意思をもって決断し、そして最後に議事堂を後にする際に見せる笑顔がなんとも爽快です。

いままでもそういう印象ですけど、メリルは強さがキツくなく、かならず優しさがあるような、変な表現ですけど柔らかく強いような印象が素敵だと思うんです。

彼女が直面した状況というのは、非常に辛いものでしょう。政府を相手にするからではなく、友人を社会的に破滅させることになるからです。

しかしそれを覚悟し、自身の社会的地位も危うくしつつも、メディアがあるべき姿だけは失わないようにしたのですね。

「我々が仕えるべきは政府ではなく、国民である。」

この映画のラストは、アラン・J・パクラ監督の「大統領の陰謀」(1967)にそのまま続くかのような演出になっています。

ウォーターゲート事件ですね。

あれこそ真のジャーナリズムだと、今現在でもお手本として引用されるわけですが、今作はその”政府に対抗し、監視するメディア”という土台を作った話に思えます。

この文書を巡って、勇気を振り絞って国に立ち向かった。そしてそれこそが自分達のあるべき姿なんだと、メディアが協力し、結束した。

この形を作り上げたことがなにより偉大な功績に思えます。

もしもこの時、ワシントンポストが折れていたら?文書は闇に消え、ウォーターゲート摘発もなく・・・考えるだけで恐ろしいですね。

スピルバーグ監督がこの作品を6ヶ月以内に撮ったというのもスゴいですね。トランプ政権へのカウンターとして急いだのでしょうか。

無駄のない編集に、ユーモアを交え、エンタメとして完成させつつ、この重要な歴史のピースを誰にでも分かるように説明してしまう。見事過ぎる。

ウォーターゲート事件はよく知っていたのですが、その前に彼らに戦う武器、そして独立したメディアというホームを与えたのは間違いなくこの時立ち上がった人たちです。

偉大な功績の前に、辛い時を戦った人々をしっかりと観ておくべき作品でした。

日本でも今、メディアの在り方がかなり問題視されていますので、そういう意味でもオススメな作品でした。

レビューはこんな感じでおしまいです。それでは、また。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です