「カモン カモン」(2021)
作品概要
- 監督:マイク・ミルズ
- 脚本:マイク・ミルズ
- 製作:チェルシー・バーナード、アンドレア・ロングエーカー=ホワイト、リラ・ヤコブ
- 音楽: アーロン・デスナー、ブライス・デスナー
- 撮影:ロビー・ライアン
- 編集:ジェニファー・ヴェッキアレロ
- 出演:ホアキン・フェニックス、ギャビー・ホフマン、ウディ・ノーマン、モリー・ウェブスター 他
「20センチュリー・ウーマン」のマイク・ミルズ監督が、アメリカの様々な地域の子どもたちにインタビューをしているジャーナリストと、彼の取材旅行についてくることになった甥と過ごす日々、友情を描いていくドラマ。
主演は「ジョーカー」でアカデミー賞主演男優賞を獲得したホアキン・フェニックス、甥っ子の役は若干11歳の新鋭子役ウディ・ノーマン。
また主人公の妹役には「わたしにあ会うまでの1600キロ」などのギャビー・ホフマン。彼女はしばらくの間ドラマシリーズに出ていたようで、長編映画の出演は久しぶりのようです。
製作はA24ということで、マイク・ミルズ監督作品配給は連続ですかね。
この作品は撮影こそは19年暮れには終わっていたらしいのですが、プレミアやスチル、予告の公開は結構後になってからです。新型コロナの拡大もあり出すタイミングを測っていたのかもしれません。
昨年の各批評筋の好評だった作品にちらちらと名前が見えていたことや、やはりマイク・ミルズ監督新作ということもあり楽しみにしていました。
公開週末、午後の回で小さな映画館に行きましたが、結構混み合っていました。
〜あらすじ~
アメリカ全土で子どもたちを対象にインタビューをし取材旅行しているジョニー。
出会う子どもには、自分たちの将来についてなど様々な質問を投げかける。
ある時ジョニーは妹のヴィヴから甥っ子であるジェシーの面倒を見てほしいと頼まれた。
ヴィヴの夫は精神疾患を患い、症状が悪化したために施設への入院が必要になったのだ。
夫のケアのため、そして子どもにはそんな父の姿を見せられないという想いからだった。
ジョニーは妹のためジェシーを預かることにするが、脈絡のない遊びや唐突な行動などに振り回されてしまう。
そして数日後、ジョニーは仕事のためにニューヨークへ行くことになり、ジェシーも付いていきたいというので一緒に取材の旅に出ることになった。
感想/レビュー
親密で自然な物語
マイク・ミルズ監督は伯父と甥っ子、大人と子どもの関係性というちょっとありがちとは思えるドラマから、単純な家族の物語と同時にこの世界に生きているあらゆる人間とその対話について描き出しました。
その描写は全てが自然で唐突で、計画されたものではない、ストーリーを進めるために入れ込んだと思えない馴染み方をしています。
ドキュメンタリー的だなと思うくらい、話に構成とか変なポイントを感じないのはシンプルにスゴいですね。
そして全てに関して、何気なくありながらもすごく重要な意味を持っている。
それはジョニーとジェシーにだけ響いているのではなく、観ている観客の世界でも響くことでしょう。
セリフや事象を切り取ってみると、非常に哲学的な色合いを見せていて趣深いのですが個人的な親密さを持っていますし、思わせぶりすぎなくて素敵ですね。
暖かみのあるモノクロ映像
親密さは画面からも来ているように思います。
今作は全体に暖かい。
モノクロにて撮影されている点に理由を見出すとすれば、世界を解釈するための余地ではないかと思います。
なにかに塗られても染められてもいない。
それぞれの人物がそれぞれの解釈でこの世界を見ていて生きている。だから色を抜いたのかなと感じました。
またモノクロによって時間制が取り払われた気もします。
ジョニーとジェシーの旅は、過去の想い出のような気もしますからね。
しかし単純なモノクロではなくて、コントラストは控えめにしておりキツくなく、また個人差かもしれないですが全体に赤みが入っている気もします。
どことなくですが、モノクロにしつつレッドの色相をほんのり入れたような。
それがまた暖かみあるスクリーンに繋がっているのだと感じます。
互いに完璧なバランスの主演2人
そんな今作において非常に重要なのが、主役となるジョニーとジェシーを演じるホアキン・フェニックスとウディ・ノーマンの二人です。
これは演者がしっかりしていないと成り立たない物語だと思いますので、その重要な役回りをこなした二人には感激してしまいますね。
ウディ・ノーマンははじめて知った俳優ですが、この幼さですごい俳優。
もちろん子供らしい純真さとかかわいらしさというものを(多分本人がもともとチャーミング)これでもかと振りまいています。
そこで子どもらしい少し解釈に困る遊びとか鋭さとか、荒唐無稽に思える叫びを発していますが、ほんとに絶妙に大人びた視点、セリフも出しています。
脚本も演出も、ジェシーが”大人が書いた幼い子どものキャラクター”になりすぎずかといって”大人の言いたいことを言わされる子どものキャラクター”にも行きすぎずバランスがいい。
それをしっかりと態度や所作で示してしまうウディは素晴らしい俳優です。
そんなウディの魅力に負けじとしっかりと主人公になっているのがホアキンのすごいところでもあります。
子役がここまで見事だと負けそうですけれど、出しゃばりすぎずに、この急に子育てをしなくてはいけなくなった男を演じきっています。
二人の子どもと二人の大人
二人が対峙、対話していって見えてくるのは、二人の子どもと二人の大人です。
子どもという点ではジェシーはもちろんヴィヴの子どもであること、そしてジョニーは亡くなった母にとって息子であること。
誰しもが誰かの子どもということでもありますが、それだけにとどまらず、身体こそ大きくなってもやはりジョニーにも子どものような要素があるということです。
それは姉との関係性におけるちょっとした意地の張り合いとか、失った恋人への未練とか、決して完璧で立派で何でもできる存在ではないということです。
結局、大人だって完全無欠じゃない。
子どものころは大人は素晴らしい存在であると思っていますが、成長するにつれて親とか周囲の大人を知り、限界も弱さも見えてきますよね。
だからジョニーが頑張っていても完璧じゃない姿を見ると、親近感がわきました。
そして大人というのはおもにジェシーに向けています。
彼はまだ9歳。だからジョニーも「テキトーに遊んで、スナックを用意すればいいと思った」ように、子ども扱いします。
それは不完全で幼稚な被保護者ということですが、実際には子ども(インタビューで出てくるみんなふくめて)はかなり哲学的に生きていて世界をしっかりと見ています。
使う言葉こそ幼くとも、そこには真理がこめられていますね。
見透かされる大人と見透かす大人
「ぺらぺらぺらぺら」
なんだかいろいろ言うけど、たいして意味はない。
自分も大人になると難しいことを言ったり、対面を保ったりあれこれ言っていますが、ほんとしょうもないことばかりなんでしょう。
子どもには見透かされている。いや、子どもというくくりはなくて、そこに存在する一人の人間ということでしょうか。
彼らは彼らなりにしっかりとこの世界と向き合っていて、彼らなりの表現で対話している。
ジェシーも大好きな父のことを気にかけているし、決して何も知らないわけじゃない。
ジョニーやヴィヴと同じく、彼だってこのクソな人生を彼なりに生きているのです。
彼の孤児の振りをする奇妙な遊びも、その根底には自分の居場所や保護を求める想いが隠れているように思います。
こうした深層への理解とか旅が、ごく自然な会話と、感情を示す本からの引用で展開されていくのが素敵でした。
各都市に見える過去と未来
二人が旅する都市。
東のNYC、西のLA、南にはニューオーリンズ、そして北のデトロイト。
アメリカ全土を旅してジョニーは子どもたちの声を集めていく。
ここでそれぞれの都市の性格と、国、世界の未来に関する会話が聞こえてきます。
NYCといえば移民が多く世界中からいろいろな人が集まっていますが、そうした彼らから見た今を生きる人への考察。
差別に関する発言がありました。
デトロイトはかつてアメリカの未来を背負う産業都市出会ったものの、今は過去の街になっている。
ニューオーリンズはハリケーン・カトリーナの話が出てきますが、傷を負った街として見えました。
過去に起きたことから未来を見ていくと結構悲惨です。
大人としては子どもであったときよりもずっと、自分の未来を、いやむしろこれから大人になっていく子どもたちの未来について悲観的になってしまいますよね。
気候変動、経済危機、紛争。日本の場合には少子高齢化。
でもジョニーとともに子どもたちの声を聞くと、彼らの観ている世界はしっかりと過酷でありながら希望を持っていると分かります。
世界は終わらない。
思ってもないことこそ起きるものだけど、それでも進んでいくしかないのだと。
マイク・ミルズ監督は個人的体験の投影のような旅から、叔父と甥の王道なロードムービー、子どもという存在の研究や子育てのカオスと楽しみと驚きまでを描き切っています。
記録することで不滅になるということやジェシーの言葉にはやや哲学的過ぎたり映画が語りかけたように思える点もあるにしても、全体にはなんとも素敵な一本。
生涯のベストに選ばれる方もいるのではないかというなにか特別なものを感じる作品でした。
連休の控える今、是非劇場鑑賞候補に入れていただければと思います。
今回の感想は以上。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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