「ベネデッタ」(2021)
作品概要
- 監督:ポール・バーホーベン
- 脚本:デヴィッド・バーク、ポール・バーホーベン
- 原作:ジュディス・C・ブラウン『Immodest Acts: The Life of a Lesbian Nun in Renaissance Italy』
- 製作:サイード・ベン・サイード、ジェローム・セドゥ
- 音楽:アン・ダドリー
- 撮影:ジャンヌ・ラポワリー
- 編集:ヨープ・テル・ブルフ
- 出演:ヴィルジニー・エフィラ、シャーロット・ランプリング、ダフネ・パタキア、ルイーズ・シュヴィヨット、オリヴィエ・ラブルダン、ランベール・ウィルソン 他
「エル ELLE」で観客を騒然とさせ定義しがたい作品を送るポール・バーホーベン監督が、同性愛の罪で裁判にかけられた実在の修道女をモデルとして、彼女の権力と疑念を描く作品。
主演は「エル ELLE」にも出演していたヴィルジニー・エフィラ。
また主人公ベネデッタと深い関係になる修道女バルトロメアをダフネ・パタキア、修道院長を「さざなみ」などのシャーロット・ランプリングが演じています。
おおよそはジュディス・C・ブラウンによる小説『Immodest Acts: The Life of a Lesbian Nun in Renaissance Italy』を原作としながら、実際に残されている裁判の記録や一部の脚色を交えたストーリーとなっているようです。
もともと2018年には製作は終わっていたものの、監督の手術やコロナもあって2021の公開に。日本ではさらに遅れて23年公開となりました。
バーホーベン監督が実在のレズビアンの修道女を題材にした映画を撮ったことはわりと前に取り上げられていて興味はありましたが、まさかここまで公開が遅くなるとは思いませんでした。
ちょうど祝日公開であったので公開日に鑑賞。劇場は結構混んでいました。
~あらすじ~
17世紀。幼いころから聖母マリアの声を聴き奇蹟を起こすという少女ベネデッタは、6歳にしてティアティノ修道院へと出家する。
入ってすぐの夜に、マリア像の前でベネデッタが祈りを捧げていると、像の足元が崩れて倒れ掛かった。
しかしベネデッタは全くの無傷であり、その時から彼女にはやはり奇蹟が約束されていると噂になる。
ベネデッタが成人ししばらくしたころ、貧しい少女が修道院へ駆けこんできた。
バルトロメアは父や兄から虐待を受けており、不憫に思うベネデッタは彼女を迎え入れる。
ベネデッタとバルトロメアは仲良く過ごし、いつしか互いに性愛を抱き求め合うようになった。
その一方でベネデッタはキリストの幻視や聖痕の発現を経て、イエスの花嫁として祭り上げられ始めた。
感想/レビュー
ポール・バーホーベン監督って今84歳。このベネデッタの公開時でも82歳。
80歳越えた方が作るレベルじゃないぞ!このド変態めが!(褒め言葉)
またやってくれました。バーホーベン監督の挑戦やスタイルというのはいつも驚かされるものです。
誰にも定義させない、新しい何か
前作の「エル ELLE」は今でも鮮烈に印象が残っています。
バーホーベン監督が女性を主人公にした作品を作りながらも、常にそれは他の女性を主役にした映画や女性映画とは異なっている。
むしろ前作は「エル ELLE」以外の何物でもない。レイプを扱いながらもそれで定義されることを突っぱねて、だからこそ誰にも定義=正確に理解してつかむことができない。孤高。
今作もまさにそうだと思います。
修道女、修道院をテーマにした映画はたくさんあります。
性愛的なものを入れ込んだものについては私のベストに必ず挙げている「黒水仙」(1947)がありますね。おもしろいので未鑑賞の方は是非。
他にもレズビアンを入れ込んだり、コメディに振るものもあったり。修道女をホラーに使う映画もあります。
修道女はある意味、よく分からない存在です。
内側を見せることはなく一般人からすると秘密が多く感じられる。
フィクショナルな世界ではあれこれと想像を巡らせたり、それこそ一つのジャンルやキャラクターのように扱っていることが多いですね。
ただ、今作のベネデッタはその意味でもこれまでのそうしたシスター映画、その主人公とは違う気がします。
まさに他者からの定義を許さない。
奇蹟か詐欺か
バーホーベン監督は最後の最後まで、ベネデッタが真実としてこうであったなどと描写したり明言しません。
観ている間結局ベネデッタは奇蹟の人なのかペテン師なのか分からなくなります。
分かるのは目の前の事実、彼女が他の誰も手に入れられない権力を握ったことです。
映画の序盤こそ、ベネデッタの幻視を観客にも実際のビジュアルとして共有します。
しかし両手の聖痕の発現以後はそれが見せられなくなる。
ちょうど院長の娘クリスティーナがベネデッタが偽物ではないかと疑い始めたあたりから、ビジュアルが登場しなくなるので、観客の信頼も揺らぎます。
信用していい主人公なのか。
セックスと金と暴力こそが人間の信仰
実際のところ、本物なのか偽者なのかはどうでもいいのかと思います。
重要なのはこのイエスの花嫁の奇蹟からそれぞれが何を得ようとしているかでしょう。
そこにこそ権力とセックス、欺瞞と偽善がうごめいていますから。
そもそも持参金の交渉が最初の方にありますけど、結局金って話ですし、それはバルトロメアを引き取るシーンでも同じです。
虐げられた若い娘を前に、金がないなら救えません、ってね。
その後も、区の司祭はベネデッタを利用して街興しをしようとしているし、権力の誇示やらで。
信仰が厚いように感じるクリスティーナですら、正直院長の娘というステータスを奪われたことへの悔しさが勝っていたように見えました。
結局は奇蹟の前に醜悪さを露呈していくだけ。教会も聖職者も腐りきったものです。
人は獣であった
バーホーベン監督は危うい奇蹟というものを、それぞれ都合よく解釈できる武器のようにとらえています。
そこから人間の醜悪な正体を丸裸にしていく。
最も崇高だと思われるような宗教と聖職者たちを、まるで人間の欲望の象徴のようにして見せてしまうのだから強烈です。
ちなみに拷問描写はまさに残酷で、性描写も過激です。
苦手な人は注意ですが、個人的に聖母マリアの像を実用として使うのは驚きつつ、全く監督の切れの良さに感心しました笑
バルトロメアとのシーンとか、もう言ったもん勝ちですよ。
イエスと心臓を交換し胸が大きくなりました。触れて加護と祝福を得るのです・・・おい!
実際やや脚色はありますが、奇蹟の描写は事実で記録にあり、また性の道具の件も原作とする小説を書いた歴史家がその記録から推測したものらしいです。
全体にはそんな暴露的な話でありながら、重要なのは渦中のベネデッタです。
彼女が掴めない。
イエスを幻視するビジョンの共有がなくなってから、観客はベネデッタと距離を取らされる。
ガラスの破片などから推論はたてられます。でも決定的ではない。
権力を手にして上り詰めようという割には信仰に厚いようにも見え、でもそれこそが疑われないための演技にも感じ取れ。
やはりベネデッタは彼女自身によってしか定義されないのです。
誰も掴めないからこそ圧倒的で、ゆえに都合よく解釈する。
間違いないことはこの奇蹟が権力を握ったという事実。
試される信じる心
実際にペシアにはペストが流行しなかったことなど、もしかして?と思わせる事実もありますが果たして。
ジャンヌ・ダルクを思わせる火刑をフィクションとして入れ込んだりとバーホーベン監督も観客をすごく揺さぶる映画でした。
試されているのは結局は、こちらの信仰なのかもしれません。
欺瞞を暴きつつ信じることの危うさを描きつつ、権力の暴走やある意味で最強な女性主人公を生み出す。
強い性描写、暴行や拷問などがあり万人受けではないものの、やはり圧倒される映画でした。
おすすめの一本なので是非映画館へどうぞ。
というところで感想は以上。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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