「ミッドサマー」(2019)
- 監督:アリ・アスター
- 脚本:アリ・アスター
- 製作:ラース・クヌーセン、パトリック・アンデション
- 製作総指揮:フレドリク・ハイニヒ、ペレ・ニルソン、ベン・リマー、フィリップ・ウェストグレン
- 音楽:ザ・ハクサン・クローク
- 撮影:パヴェウ・ポゴジェルスキ
- 編集:ルシアン・ジョンストン
- 出演:フローレンス・ピュー、ジャック・レイナー、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、ウィル・ポールター、ヴィルヘルム・ブロングレン 他
「ヘレディタリー/継承」で世紀に記憶されるホラー映画を生み出した新鋭監督アリ・アスター。
彼がその監督第2作品目として選んだのは、とても幻想的で明るいホラー。祝祭という華やかな世界を舞台に、その習慣に飲み込まれていくあるカップルを描きます。
主演は「ファイティング・ファミリー」に「ストーリー・オブ・マイライフ/私の若草物語」、MCU作品「ブラック・ウィドウ」など今大注目の俳優フローレンス・ピュー。
また恋人役には「シング・ストリート」などのジャック・レイナーが出演しています。
ちなみにタイトル”Midsommar”はスウェーデンの夏至祭りを意味するそうで、この作品でもそちらに基本的には着想を得ています。出てくるアイテムや風習は参考にしていると思います。
今作は批評筋で早い段階でいい評価を得ていましたし、なにより宣伝で披露されるスチルなどでは非常に明るく幻想的なイメージが多かったので、これをアスター監督がどんな地獄に変えたのかすごく興味がありました。
日本公開はずいぶん待つことになりましたが、ついに祭りが始まったので都内で鑑賞。朝一の回でしたがけっこう人は入っていました。
ダニーは精神疾患を患っている。彼女の不安やパニック障害は、双極性障害を抱える妹によるものも多く、彼女がダニーに意味深なメールを送ってきたことも、よりダニーを追い詰めた。
そして冬のある日、なんと妹は寝ている両親を巻き込み、無理心中をしてしまうのだった。
家族を失った絶望に悲嘆するダニーに、ボーイフレンドのクリスチャンが寄り添うものの、いつも不安定で過剰に自分を頼るダニーを、内心重荷にも感じていた。
そして次の夏、クリスチャンと友人たちは論文研究のためにスウェーデンの夏至祭りへと訪れることになり、乗り気ではなかったが、ダニーも誘い連れていくことに。
そこは草原の中にある楽園のようで、純白の衣装に花飾りをした人々がみんなを暖かく迎えてくれるのだった。
アリ・アスター監督は本物ですね。
前作が鮮烈なデビューとなり、期待の新星となったわけですが、この作品で間違いなくホラー映画の巨匠の地位を不動のものにしたと思います。
監督は境界線を壊し、現実に侵食し観るものを狂わせます。
前作「ヘレディタリー/継承」では映画、物語に始まりと終わりを与えず、大きくどうにもできない巨大な流れの一部でしかないという絶望感を与えて観客を恐れさせました。
そして今作はまたも境界線を越えてきますが、邪悪さという点ではより陰湿です。鬼畜の所業。いったい監督は私たちになんの恨みがあるというのでしょう。
これは完全に悪魔の仕業。だって怖くないんです。
この映画を観ていて、確かに不気味で不愉快で逃げ出したい気持ちがありました。警戒心が、特に序盤にはあったのです。
しかし観ていくうちに怖さは薄れ、どれだけの凄惨な出来事やおぞましい事実が見えてきても、嫌悪感を抱かなかった。
知らずのうちに共生し受け入れ、怖がらず喜び始めている自分がいました。
恐れを失わせ、自ら進んで共感させそして自分の意思で選択・世界に留まらせる。
プロットとしては「ウィッカーマン」のような外界からの人間が狂気の集団に取り込まれるホラーですが、この作品には拒絶や逃亡願望が失われる。
それが恐ろしいと思います。
全てが最初から決まっていることは、始まってすぐの民族の絵画に表されています。
冬の死から始まり導きから太陽の元の祝祭まで、結局は抗えない筋書きのもと主人公たちはその通りに動くしかないのです。
ただ、今作ではその決まりきった流れに途中から安心感を覚えてきます。抗いがたい運命ならそれに身をゆだねたほうが良いと。
事実だけ並べれば、風習のために自殺をし、外部から子種を採取し、そして禁忌に触れれば迷いなく殺す。筋書きからそれようとしても殺す。完全に異常者の集団です。
しかしそこでは絶対に守られる。みんな家族だから。
家族が家族を殺した背景を背負い、そして彼氏も友人たちにも疑念が絶えず、自分の居場所が欠落したダニー。
彼女の視点で観れば、この場所こそが自分にとって最良かもしれません。
ここでは完全なる関係性の崩壊の際に、(傍から見れば狂気ですが)家族もみんなでダニーに寄り添い泣き叫び嘆いてくれるわけですから。
それは、序盤のダニーの号泣シーンで、抱えてはくれますが泣いてはいないクリスチャンとの距離を見れば明確です。
そもそもダニーとクリスチャンは、鏡越しに映る姿での会話シーンなど、隔絶が画面に溢れていましたし。
崩壊が見事なフローレンス・ピューは素晴らしいですね。あふれ出る不安やその抑制から、どことなく居場所を見出し笑顔を見せる場面まで、素敵な俳優です。
絶対に逃がさない、そして計画通りに動かす。それはとても不快なのに、ダニーのような孤独を抱えた人間にとっては安らぎであります。
自ら支配されることに喜びを覚えるのです。
数々の暗示的な絵画、花を摘むときのように逆から(左から右と言う丁寧な描写付き)観たときに分かる本当の「愛の物語」の意味、繰り返される俯瞰ショットによる人物の駒感とか大きなものの視点。
良く考えれば、外の人を歓迎するのにはあの太陽光みたいな看板が逆向きでありますし。
ここまで徹底した作りがあると、完全さに身を任せてしまうものですね。
各所に笑いを交え(最後のアレ、ビンゴ大会かよw)いちいち笑わせに来る嫌がらせすら楽しく、祭りを楽しんでしまいました。
共感するのかがすべてで、出なければちっとも怖くなく特になんでもない映画に映るかもしれません。
ただ私としては、自分から防御を捨てさせ世界に飲まれることを許させる、正真正銘邪悪な作品と考えます。
アスター監督は自らの恋愛経験から今作の着想を得ていると言いますが、いったい何があったのか。彼の今後の平穏を願いますね。
というところで感想は終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた次の記事で。
コメント