「怪物はささやく」(2016)

  • 監督:J・A・バヨナ
  • 脚本:パトリック・ネス
  • 原作:パトリック・ネス 「怪物はささやく」
  • 製作:ベレン・アティエンサ
  • 製作総指揮:パトリック・ネス、ビル・ポーラッド、ジェフ・スコール、ミッチ・ホーウィッツ、ジョナサン・キング、パトリック・ワックスバーガー、エンリケ・ロペス・ラビニュ、ジスラン・バロワ、アルバロ・アウスグスティン
  • 音楽:フェルナンド・ベラスケス
  • 撮影:オスカル・ファウラ
  • 編集:ベルナ・ビラプラーナ、ジャウマ・マルティ
  • 出演:ルイス・マクドゥーガル、フェリシティ・ジョーンズ、シガニー・ウィーバー、リーアム・ニーソン、トビー・ケベル 他

イギリス人作家パトリック・ネスによるベストセラー小説を、「インポッシブル」(2012)のJ・A・バヨナ監督が映画化。

バヨナ監督は現在、「ジュラシック・ワールド」(2015)の続編を担当することが決まっている方です。今作の脚本はパトリック・ネス自身が手掛けていますね。

主演を務めるのは、ルイス・マクドゥーガル。母親役には「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」(2016)のフェリシティ・ジョーンズ、シガニー・ウィーバーそしてナイスボイスなリーアム・ニーソンも出演しています。

公開日に夜の回で観たのですけども、日比谷のみゆき座でこじんまりとやっていました。劇場が小さいのもあるのでしょうけども、たくさんの人が見に来ていまして、最後はみんなの涙がいっぱい。私もめったに泣かないのに、自然とポロポロ涙が出ました。

コナー少年の部屋の窓からは、裏にある教会と墓地、そしてそこに立つ大きな木が見える。

コナーはよく空想にふけるのだが、最近では悪夢に悩まされていた。

コナーの気分が晴れないのは、学校でのいじめよりも、重い病気を患う母が心配だからだった。絶対に良くなると言いつつも、弱っていく母。新たな治療薬を試すために、入院が必要とり、コナーはしばらく祖母と暮らすことになるのだった。

そんなある夜、教会のそばの木から、怪物が現れてコナーの元へやってくる。

怪物は3つの物語を聴かせるから、4つ目、真実の物語をコナーが話すように要求するのだった。

ファンタジーな世界をビジュアル化している作品として、何よりも美しさの際立つものだと思います。このビジュアルを楽しんでもらうこともお勧めポイントですね。

怪物によって物語が語られる際の映像は、コナー少年の描くタッチにも似ていて、現実のロンドンでの色合いの少なさや曇天に比べて、色鮮やかで非常に美しい。

しかし、そこで語られていくことは、少年に不可避である成長とある意味で赦しですね。

成長と言う要素を、ファンタジックなものに投影するのは多く観られますが、今作はそういった傑作の中の一つであると思います。私には、そもそも物語がもつ役割と言うのを、再確認させられた感覚。

いつか直面する人の生の運命。それを疑似的に体験し、その時に備えさせてくれるのが物語。怪物は善悪が曖昧で、そして罪と罰が必ずしも正しく降りかからない、王子の物語と薬剤師の物語をコナーに聞かせます。それこそが人生でありこの世界。

変えられないこともあり、そして誰のせいにもできないこともある。悪しきものがそれを罰せられず、そして大切な人が死んでいくときに、無力にも何もできない。

そこでこの物語が、素晴らしい色彩を持っていることが、その温かさが光っています。内容は苦くも、それでも人生は鮮やかだという事のように感じました。

ビジュアル面で一つおもしろかったのは、今作は結構怪物をセットで実際に作って撮影していること。もちろん実写での質感や厚みも良いのですが、今作のように夢か現実かというその曖昧自体を撮影法が体現しているようです。

親は子よりも先に逝ってしまいます。それが早いか遅いかの違い。

リードのルイス・マクドゥーガルが本当に、等身大で演じているのが素敵でした。彼は変に語りをするキャラクターとか、この作品に必要なものを揃えた、設定のある創作物ではないように、自然に見えたのです。

本当に、多感で複雑な時期の少年が、彼一人では抱えきれないものに直面しているように。薄々気づいてしまっている自分でも許せない感情、不在の父への怒りと不在になってしまうであろう母への寂しさと罪悪感を伴う怒り。

ただ純粋に自分の感情を出すのではなくて、出したいけどそれが身勝手だとか、抑えなくてはいけないと学び始めた年頃の繊細さが本当に見事に表現されているのです。

彼の罪の意識。コナーは知ってか知らずか、罰してほしいと願っているように思えます。彼の真実を彼は罪と思い、誰かに罰されるべきと思っているのです。

だからこそ、罰の無い王子の話に憤り、そして祖母の反応にも困惑する。

シガニー・ウィーバーがここで素晴らしいおばあちゃんしてます。無惨に破壊された部屋の中で、彼女は怒りはしないし、コナーを罰しない。それよりも、彼女はあの古時計を見て心を痛めます。

曾おばあちゃん、つまり彼女にとっての母のもの。彼女もまた、母を失っているのです。

絶対に避けて通れないもの。愛する者との死別。

誰もが潜在的に恐れ、考えることすらしないこと。

どうしてもそれに直面せざるを得ないコナーを、厳しくも優しく導くのが怪物です。怪物の物語を通して、複雑すぎる世界を体感する。そして、コナーが抱えていた終わりへの願望を解放する。

なんども観た悪夢、それは悪夢であり願望。

心の穴のように開いた地面。愛しているからこそ思ってしまう事。彼はずっとその思いを抱えながら、自分への怒りや罪悪感に苦しんでいたのです。

怪物はその感情を引き出した上で、彼を彼自身が赦せるように導いていたんですね。

彼にとっては、母の容体が悪くなることや究極には死を象徴していた祖母。そしてまた別離や愛の終わりを意味した父。

それらは最後には、母を思い出すつながりとして残るのです。

病院のベッド。母と、コナーと祖母とで手をつなぎ合わせるあのカットがなんて感動的で美しいのでしょう。

そしてあの時、怪物は「お前と母に会う」と言い、確かに母もコナーの後ろにいる怪物をみていました。最後にめくるページの中、少女は怪物の肩に。怪物は成長するもの、世界と向き合おうと過酷な環境でもがく者の前に現れ、厳しくもとてつもない優しさで包んでくれる。

時折母の子供の頃の写真なんかをみているシーンがあり、その中にリーアム・ニーソン(おそらくおじいちゃん)が映っています。そして怪物の声を務めるのはリーアム・ニーソン。

それを考えるに、きっと母も辛いとき、父親に導いてもらっていたんでしょう。

向き合う以外に道の無い現実。それに直面した少年の成長と、守護者の底知れない優しさ、赦し、そして何よりも、その先の人生の輝く暖かさをたたえた作品。

こんなにも心を暖かくして涙を誘う愛しい作品は久しぶりでした。

エンディングのフェルナンド・ベラスケスによる美しい音楽からの、Keaneによる”Tear Up This Town”がもう・・・

とにかく個人的にはすごく愛している作品。是非劇場で観てほしいです。公開規模があまり大きくないのが残念ですが、これはおススメ。

というところで、少し長くなりましたが、感想はこのくらいで。それでは、また~

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