「クライ・マッチョ」(2021)
- 監督:クリント・イーストウッド
- 脚本:ニック・シェンク、N・リチャード・ナッシュ
- 原作:N・リチャード・ナッシュ、『クライ・マッチョ』
- 製作:アルバート・S・ラディ、ティム・ムーア、ジェシカ・マイヤー、クリント・イーストウッド
- 音楽:マーク・マンシーナ
- 撮影:ベン・デイヴィス
- 編集:ジョエル・コックス、デイヴィッド・コックス
- 出演:クリント・イーストウッド、エドゥアルド・ミネット、ナタリア・トラヴェン、ドワイト・ヨアカム 他
作品概要
「ハドソン川の奇跡」や「運び屋」などいまや90歳を超えてなお映画を撮り続けている巨匠クリント・イーストウッドが、新たなチャプターとして元ロデオスターとメキシコの少年との交友を描いたドラマ。
俳優引退なんて言った覚えがないと言わんばかりに、今作でも自分で監督しつつ主演もこなすのがイーストウッド。
そんなイーストウッドが演じる主人公マイクと交友を深めていく少年をエドゥアルド・ミネットが演じ、また二人が立ち寄る町でレストランを営んでいる未亡人をナタリア・トラヴェンが演じています。
その他マイクに今回の少年の誘拐を依頼するアメリカ側の牧場主としてドワイト・ヨアカムが出演しています。
今作はイーストウッドの監督デビューしてから50周年の記念作品なんですね。俳優としてもですが、監督としてのキャリアも大分長いものになりました。
作品自体はN・リチャード・ナッシュによる1975年の小説を原作にしており、それをニック・シェンクが脚色したものになります。
90を超えてまだまだ映画ねの情熱が覚めず、というかむしろ2018年の「運び屋」の時点でも、その後の2019年の「リチャード・ジュエル」でも進化という前進をみせているイーストウッド。
子どものころからのファンとして非常に楽しみにしていた作品です。
さっそく公開週末に見てきました。しかしやはりイーストウッド監督作品というと、観客の年齢層がやはり高めになるものですね。
~あらすじ~
1979年。アメリカ、テキサス。
かつては数々の大会優勝や賞を受け取る名ロデオスターであったマイク。しかし落馬事故から彼の人生も転落の一途をたどり、妻子にも先立たれた彼は酒浸りとなった。
そんな彼を保護し救って世話をしてきたのが牧場主のハワード。
そして今回、ハワードはその恩返しとしてマイクにある依頼をすることになる。それは、メキシコにいる彼の息子を、母親の元から連れ去りアメリカへと連れてきてほしいというものだった。
かくしてマイクは単身メキシコへと渡り、ハワードの息子”ラフォ”を探し出すことに。
ラフォは母に虐待され、家がイヤでストリートで暮らしている。彼の相棒は闘鶏用のニワトリ”マッチョ”だけだ。
ここから、マイクとラフォのテキサスに戻るたびが始まるが、同時にメキシコ警察や母が送り込んだ追手が迫ることになる。
感想/レビュー
製作の背景と今作の脚本
まず作品自体の背景が結構変わっているので。
小説執筆当時から原作者であるリチャード・ナッシュも結構スタジオに映画化を売り込み、製作自体にはGOが出ていたようです。ただし、主演配役や監督などいろいろと頓挫し、結局ナッシュが亡くなってしまってから今やっと映画化にたどり着きました。
イーストウッド自身も80年代次点で主演の打診があり、当時は断わって監督をすると決めていたようですね。
巡り巡って2020年代に監督と主演を務めることになりました。
で、この話が何に関係しているかというと、この作品における脚本です。
今作は原作者不在の中で製作ということで認識が間違っていなければ、ニック・シェンクによる脚本にある粗については、もしもナッシュがいて精査統率すれば変わっていたのかと思ってしまいます。
正直に言うと脚本としては破綻まではいかずとも散漫で、フォーカスがブレ、主軸というものが薄れたり外れたりを繰り返している印象がありました。
ニック・シェンクは私の大好きな「グラン・トリノ」と「運び屋」の脚本を手掛けた方です。はい。はっきり言って今作もその2つの合体みたいなものになっていました。
おじいさんと少年のぶつかり合いながらの友情。メキシコの地への旅において男が自分の人生を振り返りリスタートを試みる話。
上記の2作をしっているとおおよそ驚くこともありません。
シンプルにそぎ落とし注目すべき点のみを光らせる
もちろん、その大胆さのない点はやや残念ではあります。
また特にマルタのいる町についてからは”テキサスに帰ること”と”町の住人との交流”の2つの相反するプロットが邪魔をしあってしまったように思えます。
しかし、突き詰めて言うとこの作品が好きです。
それは単純に、話を面白くするというよりも純化した中で描きたいものが特に輝くように設計されているからなのかと思うのです。
ここでイーストウッド監督が描きたかったのは人と人の交流。
あまりにクリシェに溢れているし、何度となく映画という文化では語りつくされているお話ですが、ここではそれ以外をとことん薄めにしていることで、ただただ多幸感に溢れる人間同士のやり取りが暖かく輝きます。
緩く気を抜くこと
以前からイーストウッド監督の手腕の1つだと考えていたのが、「気を抜くこと」です。
これって単純に詰めが甘いと言われそうな点になりますし、結構難しいところだと思うのですよね。
それでも”こんなもんで良いだろう”と言わんばかりに適度にさぼる。だからでしょうかね。全体に落ち着いて観ていられました。
せわしないこともなく、緩く、緊張感もない。銃撃戦もなければ、大きなドラマ展開もありません。
重くのしかかることもしない。
ベン・デイヴィスのとらえる暖かくぼんやりと美しい風景の中で、対比的に小さく見える人間たちが交流を深める。
分かりきったことでも、爺さんと少年は仲良くなり、未亡人は助けてくれるし、目を光らせていた町の保安官代理も動物を診てくれと頼ってくる。
あそこで「老いだけはどうにもならん。」ってセリフが出ますが、ここに受容が見えました。
イーストウッド監督自身が完全にリラックスしている。現実を受け入れてのんびりした姿勢が込められていると感じました。
おそらくですが、脚本上微妙なことが間違いない今作に置いて、このいい意味で手の抜けたドライな演出が救ってくれていると思います。
何かを訴えようだとか、証明しようという気概は捨てた。そんな年じゃないしそんな気分でもない。
爺さんが運転するこのトラック、ただ座って眺めてればいいのです。身構えることはない。
イーストウッド監督作品、主演と聞いて様々なものを想像するでしょう。
確かに、いまだに睨みをきかせたり唸り声をあげればクールで、女はすぐにほれ込んじゃう。
カウボーイ姿はかっこよく、メキシコらしい服装ではかつてのマカロニウエスタンを思い起こします。
でも、私も一つ新しいものを見つけました。
ここにきて”カワイイ”を身に着けていることです。キャンプファイアでのシーンとか、イーストウッドも90歳を超えてかわいらしいおじいちゃん属性を獲得するとは。
最近は主演するしないに関わらず実話ベースが続き、そこには彼自身のキャリアを投影してきたイーストウッド。
暴力の関係、英雄とは何か。
今作でもそれは想起されます。
確かにイーストウッドの背後には映画における記号としての”イーストウッド”がちらついてしまうのは仕方のないことです。
でも気構えのない緩い映画を撮ってしまうのもまたイーストウッドなのです。
ただ陽だまりの中にいて、優しく安心できるほほえましい映像を眺めるだけの映画。
余裕のない監督にはできないことだと思います。
純化されているため非常にシンプル。それ何になんとも豊か。
斬新な切り口とか挑戦ではないものの、ここまでの人生、そして映画人生の厚みだからできるゆったりとした作品。座って眺めているだけで良いのです。
というところでひいき目なのかもしれないのですが、イーストウッド好きとして満足の作品でした。
感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
ではまた。
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