「黒い司法 0%からの奇跡」(2019)
- 監督:デスティン・ダニエル・クレットン
- 脚本:スティン・ダニエル・クレットン、アンドリュー・ラナム
- 原作:ブライアン・スティーヴンソン『黒い司法 黒人死刑大国アメリカの冤罪と闘う』
- 製作:ギル・ネッター、アッシャー・ゴールドスタイン
- 製作総指揮:マイケル・B・ジョーダン、マイク・ドレイク、ダニエル・ハモンド、ガブリエル・ハモンド、チャールズ・K・キング、ニーヤ・クイケンドール、ブライアン・スティーヴンソン
- 音楽:ジョエル・P・ウェスト
- 撮影:ブレット・ポウラク
- 編集:ナット・サンダース
- 出演:マイケル・B・ジョーダン、ジェイミー・フォックス、ブリー・ラーソン、レイフ・スポール、ロブ・モーガン、ティム・ブレイク・ネルソン 他
「ショート・ターム」などのデスティン・ダニエル・クレットン監督が、アメリカで長きにわたり貧しい人のため司法支援を行っている弁護士、ブライアン・スティーヴンソンの伝記小説を映画化。
ブライアンを演じるのは「ブラックパンサー」や「クリード」シリーズのマイケル・B・ジョーダン。彼が救おうとする冤罪で死刑宣告を受けてしまった男性をジェイミー・フォックスが演じます。
また支援団体の実務担当には「キャプテン・マーベル」のブリー・ラーソンが出演しています。
初めはマイケル・B・ジョーダンの次の出演作として注目し、デスティン・ダニエル・クレットンが監督とのことと、ブリー・ラーソンも出るとのことで期待を高めていた作品です。
しかし、公開前に書店にてブライアンさんの原作小説を買い読みました。正直言って原作に圧倒され、映画が不安になったほどです。
かなりの思い入れを持ったうえでの鑑賞となります。ファースト・デイでしたのでそこそこ混んでいました。しかしコロナ感染症の影響か、いつものファースト・デイほどの活気が、映画館全体になかったです。
1983年。ハーバード大学にて司法を学ぶブライアン・スティーヴンソンは、インターンシップのなかで死刑囚への面会を経験する。
彼の役目は、囚人ヘンリーにまだ弁護士が決まっていない事、そして来年中に刑が執行されることはないと伝えるだけであった。
しかしヘンリーは刑の執行がしばらくないと知ると涙を浮かべて喜び、二人は談話を楽しんだ。
面会終了の際、看守は乱暴にヘンリーを扱ったが、彼は冷静に対処し、威厳ある態度で歌を歌った。その経験がブライアンに、助けを必要とする人に司法支援を与えたいという目的を与えることになる。
そして1988年。ウォルター・マクミリアンという男性が、無実の罪で死刑宣告を受けたと知らせが入る。
ブライアンは、ウォルターが収監されているアラバマ州の収監所へと向かうのだった。
ブライアン・スティーヴンソン氏の過酷で勇気のいる挑戦に関し、この作品は全てを描けないにしても、決して外してはいけない芯の部分をとらえていると感じます。
題材は、おそらくそこまで新しいものではありません。冤罪、黒人への差別、不当な裁判。実話でありますが、多くの映画で描かれてきたことです。
しかしどこまでもドラマチックに、説教臭くそして心地よい気分にできる題材を、デスティン・ダニエル・クレットン監督は淡々としたトーン、抑えた演出で見せました。
それこそがスティーヴンソン氏の闘いです。母が彼に語るように、彼の挑戦は特定の人を怒らせ不快にさせるもの。
立ち向かうのは現実において普通に存在する異常、当たり前に起きる歪みだと思います。
あまりに自然に、この不当さ、不公平さが存在する。
ブライアンのドライブシーン。整備された道と広々とした家。洗車し、子どもたちは庭で遊ぶ。そしてまたドライブ。舗装されていない道の奥、小さな小屋の周りに溢れる人々。
違いは肌の色です。しかしそれが当たり前になっている。
もはや自覚もないのは、ブライアンに対し絶えず、「アラバマ物語のロケ地を見ていくとと良い。公民権運動の象徴さ。」と言うところからうかがえます。(事実として、アティカスは起訴された黒人を救ってはいないのですがね・・・)
そしてその自然かつ無自覚の差別と偏見は、その重大な結果を持ち、今作はそれをも淡々と効果的に描いていました。
死刑、それは人が他者の命に期限を設けることです。
感情的にでもなく、戦闘においてでもなく、機械的に人の命を終わらせる制度。
多くのシーンで用いられる役者の顔にこれでもかと近づくショットが、居心地の悪さとともにその人を心に刻ませ、ただ静かに進められる殺める行為は不快です。
非常に差別的で抑圧的だった看守も含めて、あの場にいる誰もが、そして観客も、目の前で行われる行為が正しいものだとは思えないのです。
そして、長々としたカットで見せられるそれが、ハーヴだけでなくブライアンや観客をも殺していく。
ウォルターの娘の言うように、死刑宣告が殺すのは囚人だけではなく、社会的にはその家族、そして立ち会う人、多くの人間を死なせていくのです。
だからこそ、死ぬ人だけを見せるわけではないこの作品は、私刑というものが根源的に必要・正しいのかに問いかけます。
作品は賞レースシーズンに滑り込むように公開されていますが、演技の面でとても見ごたえのあるものになっていました。
主演のマイケル・B・ジョーダンは以前から持ち味である優等生感と静かな状態で言葉によらずブライアンが受け止める悲惨な状況を演じてみせます。彼の顔の接写だけで、囚人の痛みを分かち合うことができるのです。
そしてジェイミー・フォックス。ウォルターという人の心根の優しさを、友の死刑に抗議し格子を叩くシーンで言葉なく演じています。怒りと悲しみに飲まれそうに、そして自らも狂いそうになりながらも、友を送り出す。
拒絶された正義のあと、再び監房へ入れられるシーンでの、人が限界を超えた瞬間の抵抗があまりに観ていてつらかったです。
恐怖と怒りによる支配は法ではない。
富める者を優遇し、貧しいものを冷遇するのは法ではない。
今作は冤罪というよりも、法の在り方を問う作品。そして困難に挑戦し、弱きものを支えるという法を実現する闘いです。
非常に淡々としているからこそ、その重さや現実味が確かに感じられます。やはり単純な感動ドラマにしなかった監督は素敵な判断をしたと思います。
そもそも現実に助けを必要とする青少年を描いた「ショート・ターム」の監督ですから、搾取的な撮り方はしたくなかったのでしょう。
私たちはこの死刑を考えなくてはいけません。そして収監についても。
果たしてこれらが本当に解決策なのか。
人が人を閉じ込めること、システムとして殺すことが、最も必要とされていることなのか。
素晴らしい演技、芯をとらえた演出と抑えた語りでスティーヴンソン氏の闘いを描いた作品と思います。
私は映画を観た後に、原作となった伝記小説を読むことをおすすめします。そこにはもっと多くの闘い、不正と不公平が描かれています。
読んでてかなりつらい本ですが、今作がいかに心をともにしているかがよりわかるかと思いますので。
感想としては以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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