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「ジュリアン」”Custody” aka “Jusqu’à la garde”(2017)

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映画レビュー
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「ジュリアン」(2017)

  • 監督:グザヴィエ・ルグラン
  • 脚本:グザヴィエ・ルグラン
  • 製作:アレクサンドル・ガブラス
  • 撮影:ナタリー・デュラン
  • 編集:ヨルゴス・ランプリモス
  • 出演:レア・ドリュッケール、トーマス・ジオリア、ドゥニ・メノーシェ、マティルド・オネヴ 他

フランスのグザヴィエ・ルグラン監督による、DV(家庭内暴力)とその被害者親子をめぐるサスペンスフルなドラマ映画。監督は今作が長編初ということです。

またタイトルのキャラであるジュリアンを演じるトーマス・ジオリアも今作品が初の主演のようですね。

本作はヴェネチアで銀熊賞を獲得し、本国フランスでも興行的成功を収めました。題材が題材なのに、多くの人が足を運ぶというのもある意味うれしいことですね。現実を見つめようという姿勢かと思います。

公開後すぐに週末観てきました。HTC有楽町でしたけど、スクリーンは2番でちょっと小さめ。人の入り自体は良かったですね。

~あらすじ~

ミリアムとアントワーヌは離婚調停を進すめ、親権に関して協議していた。

DV癖のある夫アントワーヌから逃れようとするミリアムは、なんとか娘のジョゼフィーヌと息子のジュリアンを守ろうとする。ジュリアンの供述書では、アントワーヌは”あの男”と呼ばれ、そして母をいじめるから嫌いとも書かれていた。

しかし、父であるアントワーヌの権利が考慮され、毎週土曜日の昼から日曜日の夕方にかけて、アントワーヌはジュリアンに会い週末を過ごすことが許されたのだ。

そこからジュリアンにとって地獄でしかない週末が繰り返されていくことになる。

感想/レビュー

ハッキリ言って不快な作品です。見ていて気分が悪くなります。あと一部の方はトラウマレベルですので注意が必要かもしれません。

それはこの作品が悪い作品だからではなく、むしろあまりに良く特定の人々の感情を切り取り、実体験という形で観客に共有するからだと思います。2018年の東京国際映画祭(TIFF)にて観た「ワーキング・ウーマン」を思い出しました。

この作品はDVの補害を受けた側、そしてその元凶である夫/父から逃げようとする側に視点を置きます。

つまり最初から弱い立場にあり、観客側からすればどうにもならない。DVの始まりで、なにかできるかもしれない点ではなく、すでに完全に脅威と化して逃げなければいけないところから、この作品は始まるのです。

冒頭の約10分くらいの間は、裁判官と弁護士立ち合いの協議が行われ、親権をめぐっての話し合いが続き、そしてあっという間に舞台が出来上がってしまいます。まだジュリアンも出てきていないところで、アントワーヌに週に一度あうという地獄が決定されてしまうのです。

この時点で観客側はただ事態を受け入れるしかないというのも、ジュリアン視点で進んでいく効果的な脚本家と感じます。観ている人はジュリアンと同じく、自分の意思関係なく決まったことに従うしかないからです。

抗えない感覚というのは、また体験型の作品として今作を強くしています。

ジュリアン、またミリアムも、とても非力なのです。

どうあがいてもアントワーヌを止めることができない。肉体的な威圧と恐怖が配され、彼らの側に寄り添うことから、同じくその怖さを感じます。

空気の作り方が残酷なほどにリアルですね。電話の着信、車のクラクション、ドアをたたく音、足音、声、そのひとつひとつに緊張が走る。そして週末が終わったとしても、この一家はアントワーヌの存在を恐れ続け、そのために生活、人生そのものが楽しくないんです。

姉のジョゼフィーヌの誕生日会、せっかくライブシーンで歌うのに、眼が恐怖と緊張で埋め尽くされているのがかわいそうで仕方ない。

心のどこかにその人物の存在があるというだけで、憂鬱な気分になったことはないでしょうか。学校でも職場でもなにか習い事とかでもいいですが、今作はその究極ともいうべき、家族です。はたから見ればなんとかうまくやっていけなんて言われかねない家族に、悪魔がいたらどうでしょう。

学校や会社であれば、逃げることができますよね。転校や転職、また外部に訴えやすいこともあるかと思います。(昨今の日本情勢ではとてもそうとは思えないですが)

しかし家族という閉鎖社会では、アントワーヌが言うように「家族のことに他人が口出しするな。」で助けを遠ざけられてしまうことが多いと思います。

どこにも行きようのない親子にクライマックスでは最悪の事態が起きます。

長回しの臨場感はドキュメンタリーでも見ているかのようで、カットバックで映し出される緊急通報室と警察側の視点をみて、観客はただ傍観者としてみているしかない。どうか最悪の事態だけは避け、親子の無事を祈りながら。

映画という残酷なメディアの、見ている側は何もできない無力さまで最後にぶち込んできますが、1つの光をくれているのも確かです。

家族が新居に越した際、ふと画面奥でごみを捨てに出てきた老婦人。

彼女がいなければ。

ミリアムの通報では現在地特定に時間もかかり、なにより正面口を開けることができません。やはりあの老婦人が、怒り狂ったアントワーヌを見てすぐに通報してくれたからこそ、命が救われたのです。

アントワーヌを肉体的に超えてもなく、なにかすごい能力があるわけでもない普通の老人が、二人を救ってくれた。

だからこそ、私たちもあのような隣人になるべきなのです。無関心や見て見ぬふりをしていてはいけない。

DVの被害者たちがいかに無力なのかを観客も車に押し込んで体験させ、公的にその問題を扱う者たちがどれだけ慎重にならなければいけないかも描く。

でも私が最後に自分事なんだと感じたのは、そういう問題にたいして自分の役目や負っている責務を見せつけられたからです。

司法や警察、支援団体などがこうした問題を解決する役目ではありますが、やはり善き隣人でなくてはいけないのだと。

私たちもDVを防ぐ社会システムの一人であると自覚し、あの老婦人のようにやるべき事をやらなくては。

穴の空いたドアの向こうの状況を決めるのは私たちなのですね。

ルグラン監督は体感型の家庭内暴力を描き被害者の心境を刻み、同時に私たちの義務と、なによりそれによって自分達も何かできるんだという希望をくれました。

かなり観ていて辛いところもあり、もうジュリアンを演じるトーマス君が心配になるくらいです。それだけハッキリしている映画。DV被害の経験がある方は厳しいかもしれません。

いずれにしても、今野田市での事件など悲しいですがタイムリーになっているこのDV問題に目を背けないためにも観てほしい作品でした。おススメです。

感想はこのくらいで。こういう自分事に落とし込んでくれて、責務を思い起こさせてくれる作品に出は感謝しますね。それでは~

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