「LAMB/ラム」(2021)
作品概要
- 監督:ヴァルディミール・ヨハンソン
- 脚本:ショーン
- 製作:フレン・クリスティンスドティア、サラ・ナシム
- 音楽:ソーラリン・グドナソン
- 撮影:イーライ・アレンソン
- 編集:アグニシュカ・グリンスカ
- 出演:ナオミ・ラパス、ヒルミル・スナイル・グズナソン、ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン 他
様々な短編作品また長編では美術、特殊効果などの経験を積んできたアイスランド出身のヴァルディミール・ヨハンソン長編監督デビュー作品。
ある羊飼いの夫婦のもとに産まれた”何か”を育てていくファンタジーホラー。
「チャイルド44森に消えた子供たち」などのナオミ・ラパスが禁断の子アダを育てる母を、父役はアイスランドを代表する俳優ヒルミル・スナイル・グズナソンが演じています。
今作はカンヌ国際映画祭で上映され、そこである視点部門を受賞し、批評家間で高い評価を得ています。
脚本のショーンって、ビョークと良く組んで仕事をしている方らしいですね。ロバート・エガース新作の「ノースマン」も監督と一緒に脚本を執筆しているそうです。
予告編の不穏さとアイスランドの景色の良さにも惹かれつつ、公開を楽しみにしていた作品のひとつでした。
早速公開された週末に観に行ってきました。なんだかA24かつ北欧のホラーというとそれだけで若い人には魅力的なのか、若年層が多かったです。
〜あらすじ〜
アイスランドの山奥にある農場。
マリアとイングヴァル夫婦は子どもを亡くし悲しみにくれていた。
二人がいつものように羊たちの世話をしていると、妊娠した羊がいた。お産を手伝い生まれてきたのは、禁断の存在。
二人はその生まれた子を”アダ”と名付けて育て始める。
アダはすくすくと成長し家族は以前のような笑顔を取り戻していく。
しかし、イングヴァルの弟が宿を求めて訪ねてきたことで状況が変わる。
感想/レビュー
ヨハンソン監督が送り出すダークなおとぎ話。
周到にデザインされた音、アイスランドの背景や夫婦を描写する美しい撮影。
全てがじわじわとした静寂の中にあり、ジャンプスケアや恐怖の存在というものを駆使せずとも、不穏と不安を上映時間中持続させることができる。
怪異はあまりに自然に馴染んでいき、ストッピングをかけ忘れ疑問を投げるタイミングを逃すうな脚本は、その突き進む力を持ってこの作品をユニークなものにしています。
全体のトーンの静けさ
ヨハンソン監督は不気味なおとぎ話にあまり明確な抑揚を設けていません。
ともすればスローバーニングですらなく、思わせぶりなだけで何も起きずに過ぎ去っていくとも思われます。
その点で見終わったときの印象には、結局何でもなかった曖昧な作品というものもあるかもしれません。
評価の分かれるところですが、結論今作はホラー映画ではないと感じた私は、そのまま作品の呼吸に合わせていくことができました。
閉鎖、内向的な社会の狂気
テーマとして、明確さが欠けているのは必然なのかもしれません。
素晴らしい撮影が映し出すのは美しいのアイスランドの情景だけでなく、このマリアとイングヴァルの孤独、外界からの孤立だと思います。
広大な大地にポツリと夫婦だけがいる。
OP、アダの誕生を神聖なものと投影するように、羊たちの小屋でラジオからクリスマスソングが流れています。
ラジオはもう一度アダが大きくなってからも出てきていますね。そこではイングヴァルがアダに”ラジオを止めてくれ”と頼んでいる。
ラジオは外の世界からの情報であり、外界の象徴。
それを止めるとはつまり、外部の視点や存在のシャットアウト。
マリアとイングヴァルははじめこそアダに驚きながらも、互いに疑問も不安も口にせずそのまま育て始める。
状況を整理し冷静な視点で見ることはとうに放棄、あるいはあえて避けている。
そのうちアダが普通になる。
誰も疑問を投げかけないからですね。観客は、”何が起きてる?おかしいだろ”と思いつつ、それを作品は無視し進んでいく。
だから観客もマリアとイングヴァルの閉じられた世界に住むことになり、そこで普通とされるものを受け入れていくしかないのです。
そこに決定打として打たれるのがペートゥルというキャラクター。やっと出てくる外部=観客側の視点です。
これまで聞かれるべきだった”一体あれはなんだ?”をやっと聞いてくれる。
そしてその返答が今作のテーマに関わる。
幸せを追求すること
”幸せ”です。
ペートゥルも(アダに周囲を魅了する不思議な力があるかもしれません)結局は甥っ子?アダに愛着を持ち一緒に過ごすことに。
何せこのアイスランドの僻地では、人口の3分の2がアダに違和感覚えず、疑問を持つのは自分一人なのですから、環境に飲まれても不思議ではありません。
異物を無視しマリアとイングヴァル夫婦は失った子供を取り戻し、再び幸せな家庭を得ることを選んだわけですね。
全てを無視し、自分たちにとっての幸せを追求する。暴走した母性は生物学的母である羊を排除します。
沈み会話を交わさなかった序盤の描写からすれば、たしかにマリアはアダの喪失に対処しきれていません。
無理やりにでも、新たに子どもが欲しい。
執着するマリアをナオミ・ラパスが見事に演じています。それは時に怖いくらいの迫力を持っているのです。
セリフが少ない今作で、この身勝手ともいえる幸せに執着しそれを守ろうとする、母としての異常なまでの強さを体現していました。
世界には抗えないという寓話
この映画のポスターってマリアがまるでモナリザみたいな姿勢で、アダを抱いていますね。そこには聖母的な意味合いを感じますが、マリアという名前も含みがあるのでしょうか。
しかし、マリアは聖母ではない。
アダが聖なる奇跡なのだとすれば、マリアとイングヴァルは自然の神秘や偉大さに抗いそれをかすめ取った罪人です。
自らの降伏を身勝手にも追い求めた。そこに訪れる結末というのは昔話とかのようでしたね。
人間が踏み込めない神や精霊の領域を犯してしまい、怒りに触れるような。
冷静でワントーンで進むゆえに、そして着地の点は良くともその描写は少し物足りないところがあったり、精錬しきっていない感じはあります。
驚きというものを与えたかというのも疑問です。
しかし長編監督デビュー作品としてそのオリジナリティ、見たことない何かを提供したヨハンソン菅監督の手腕は証明されていると思うのです。
これからがさらに楽しみな監督の作品でした。
今回の感想はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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