「パリ13区」(2021)
作品概要
- 監督:ジャック・オーディアール
- 脚本:ジャック・オーディアール、セリーヌ・シアマ、レア・ミシウス
- 原作:エイドリアン・トミネ
- 製作:ヴァレリー・シェアマン
- 音楽:Rone
- 撮影:ポール・ギローム
- 編集:ジュリエット・ウェルフラン
- 出演:ルーシー・チャン、マキタ・サンバ、ノエミ・メルラン、ジェニー・ベス 他
「ゴールデン・リバー」などのフランスの監督ジャック・オーディアールが、パリの13区を舞台に3人の男女の人生と恋愛を描いたドラマ。
主演は今作が映画初の主演になったルーシー・チャン、「つかのまの愛の人」などのマキタ・サンバ、そして「燃ゆる女の肖像」などのノエミ・メルラン。
またパンクバンドのボーカルであり俳優としても活躍しているジェニー・ベスも出演しています。
今作はエイドリアン・トミネによる3つの短編を原作として、それぞれが交差するように脚本を作ったものになります。
脚本はオーディアール監督自身の他、レア・ミシウス(「アヴァ」)やセリーヌ・シアマ監督も執筆に参加しているんですね。
21年のカンヌ国際映画祭にても上映があり当時から評価がかなり高かったそうです。カンヌではパルムドールノミネート、作曲賞を獲得しています。
セザール賞でも5つのノミネートを果たしました。
オーディアール監督の映画はあまり見たことがなかったのですが、とにかく西部劇の新しい側面を切り開いた「ゴールデン・リバー」がすごく好きなので、この作品も楽しみにしていました。
ただ公開された週には見に行けなかったので、GW連休に入ってから観てきました。
休みとはいっても万人受けでなく、またなぜか(性描写?)R18指定の作品になっていたのでそこまでお客さんは多くなかったです。
~あらすじ~
パリ。
コールセンターで働いている台湾系のフランス人エミリーは、ルームシェアの相手を募集していた。
そこに現れたのは高校教師をしているアフリカ系フランス人のカミーユ。
二人はすぐにセックスする間柄になったが、ルームメイト以上の関係にはならなかった。
一方、法律を学ぶためにパリの大学に復学してきたノラは、社会人経験を積んできたことで年齢差もありなかなか周囲になじめずにいた。
さらにパーティでウィッグを被ったことからカムガールであるアンバー・スウィートに間違えられたことでからかいや嫌がらせを受けることになってしまう。
ノラは大学を辞め、経験のある不動産業で働くことにし、そこで高校教師を辞めて友人の不動産業を手伝っているカミーユと出会うことに。
そしてノラは同時に、アンバー・スウィート本人と連絡を取り互いを知り関係を深めていっていた。
感想/レビュー
語彙力のないこと言うとスゴイ映画でした。
ミレニアル世代の(主演のルーシー・チャンなんて2000年生まれですよ)恋愛というかそれ以上に、仕事とか生き方とかすべてを事細かな演出の中で語っていて、3つの物語が巧みに多層的に折り重なって。
突き詰めて愛についての物語として帰結させています。
ジャック・オーディアール監督見事すぎる。
ありのままの今のフランスとそこに生きる若者たち
この作品で描かれているのはまさに”今”であると思います。
それはただ単純に時代設定を今にしている現代劇であるというだけではありません。オーディアール監督はある意味でありのままを映し出している。
まずもってこの作品の登場人物が多様に思えます。
私自身は実際にフランスすら言ったこともないわけですが、最近こそアフリカ系のフランス人は多く描かれているものの、描き方には偏りがあった気もしています。
おそらく私が意識し始めたのは「最強のふたり」です。
あそこではオマール・シーが出てきてアフリカ系のフランス人の存在を広く映画にて知らしめたと思います。
しかしその後「レ・ミゼラブル」でも描かれるように、主として出てくるのが結構”貧困”、”治安の悪さ”に即した人物が多かった気もします。
そんな中で今作のカミーユは高校教師。
普通に暮らしていて彼自身からは別段フランスにいるアフリカ系というような要素すら感じない。私にはこの描かれ方が素敵に思えました。
また、エミリーはこれまたあまりフランス映画(私が見てる中)では観られなかったアジア系のバックグラウンドを持つキャラクターです。
アジア系のコミュニティも普通に出てくる。
あまりフランス映画、特にパリを描く作品でそこに住んでいるというアジア系のフランス人が出てくることって、これまでなかったのではないでしょうか。
そういった意味でも、なんかこれまでのありがちな設定とは違う印象を受けた作品です。
そして映し出されていくパリの街なみについても、決してその歴史ある通りばかりではなかったのも特徴ではないでしょうか。
アジア人街がしっかりと映し出されているのも面白いなと思いますし、OPでの立ち並ぶマンションをじっと眺めていく点もなんだか新鮮でした。
エミリーの住んでいるアパートの感じとか、カミーユとノラの乗る電車。外向けに飾り立てていない、そのままのパリの一区画が見えているようで好きです。
モノクロの柔らかな画面
映し出していく画面はオーディアール監督としては初めてのモノクロ映像になっています。
一度だけカラーが使われていますが、あれはブロンドの髪を印象付けるためでしょうかね?
見える全てはモノクロですが、グラデーションを持っていてなんだか暖かい。
今作が描くのが現代でありながらも、過度に色合いを加えて今を意識しすぎないように狙ったか、やはりウディ・アレンの「マンハッタン」の感じへのオマージュか。
なかなかに直接的なセックスシーンが多くあり、エクスタシーに浸る顔のアップをとらえたとしても、このモノクロの画面が和らげてくれて、性的さよりももっとセックスライフ、生き方の観察に見えたように思えます。
ゴールではないセックス
その性描写の多さがある意味特徴ですが、むしろあり方に関してやはり現代を見ているなと思います。
ここではキスもセックスもゴールじゃない。愛の始まりとかでもないし何かの終着点でもない。
セックスはするけど、決してセフレ的な意味でもなくて、友達と少し親密に楽しいことをするということ。
そしてそれぞれがセックスの後に関係性を築き、互いの距離を見極め自分が何を求めているのかを理解していくわけです。
繋がりというものが現代ではマルチメディアです。
もちろん身体的なつながりを持つことも含めていますが、何度も出てくるようにメッセージはスマホで気軽にできますし、相手探しもマッチングアプリで済みます。
それこそ課金制のチャットではオンラインにてセックス(というか性行為)が可能になり、エミリーがしたように空き時間にサクッと会ってセックスして仕事に戻ることも。
ノラもスカイプを通してアンバーと繋がり、実際の接触はなくても親交を深めていく。
現代における繋がりを、決して批評的でなく描く
ただここまで大きく広くいろいろな関係性の在り方を見せながら、非接触と接触での関係性について監督は決してどちらが良いとも悪いともいわずに、見事に描きこんでいますね。
エミリーではまさに接触。
死期の近い祖母に会う、会わないという点で苦い部分もあります。電話という非接触で母と繋がりつつ、祖母を訪ねて世話をする。
しかしその後彼女は自分の生活と人生を優先し祖母には会わなかった。
結果として非常につらいことになりますけれど、エミリーを酷い孫だとは描いてません。
これは並べると思えるのですが、カミーユとノラと違ってエミリーは背負うものがあるんですよ。単純ではない。
またノラに関してもただ画像で比較するだけで他人と間違えられてしまうことがありますね。
アンバーとノラはお互いを比べ、ぱっと見は似てるけど実際は違うと言います。非接触らしい誤解は、あまりに辛い学校でのシーンを生み出しました。(究極の接触をもって仕返ししたノラのシーンはちょっと爽快)
触れる手の優しさ、重なる唇。
どんな形で繋がってもいい、どんな風に愛してもいい
触れ合うことを見せていてもこの映画は現代のあらゆる繋がり方をそのまま描き、判断を下しません。
いろいろと経験をしているけれど、まだまだ自らのことってわからないことも多い。模索し続ける3人の若者。
繋がることは多様で簡単で、でも関係性ってその時点でできるわけではなく、徐々に築いていくものだし変化もしていく。
それでもどういうあり方でも、人は繋がり愛し愛されることを欲しているのです。
私はすごく好きな作品。
もっと取っつきにくくありがちなフランスの自由恋愛ものかと思っていた節もあり恥ずかしい。
そのまま切り出したような現代のつながりが、ありのままだからこそ美しい作品でした。
ということで感想は以上。
こちら結構お勧めですので映画館でぜひ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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