「ビーチ・バム まじめに不真面目」(2019)
作品解説
- 監督:ハーモニー・コリン
- 脚本:ハーモニー・コリン
- 製作:シャルル=マリー・アントニオーズ、モーラ・ベルケダール、スティーヴ・ゴリン、ジョン・レッシャー、ニコラ・レルミット
- 製作総指揮:ニック・バウアー、ダニー・ガバイ、エディ・モレッティ、ディーパック・ナヤール、ジョージ・パーラ、マルク・シュミットハイニー、トーステン・シューマッハー、シェーン・スミス、カール・シュポエリ、ウィル・ワイスク
- 音楽:ジョン・デブニー
- 撮影:ブノワ・デビエ
- 編集:コルビー・オブライエン、ニック・フェントン
- 出演:マシュー・マコノヒー、アイラ・フィッシャー、スヌープ・ドッグ、ザック・エフロン、マーティン・ローレンス、ジョナ・ヒル、ジミー・バフェット 他
「スプリング・ブレイカーズ」のハーモニー・コリン監督によるある詩人の物語。
著名でありながらも自由気ままに底辺で過ごしていく詩人ムーンドッグを、「インターステラー」などのマシュー・マコノヒーが演じます。
また、彼の妻役には「ノクターナル・アニマルズ」などのアイラ・フィッシャー、そのほかムーンドッグを囲いまた出会う人々にはラッパーのスヌープ・ドッグ、ザック・エフロン、マーティン・ローレンス、ジョナ・ヒル、アーティストのジミー・バフェットが出演しています。
ハーモニー・コリン監督はトレイ・エドワード・シュルツ監督の「WAVES/ウェイブス」に顔を出していたりしますが、監督作は7年ぶりなんですね。
今作は2019年製作公開ですが、日本公開は結構遅れました。
で、コロナ禍での東京都の緊急事態宣言の発令を受けて公開が危ぶまれていましたが、ほかの作品と異なり延期なしで予定通りに公開されました。
実はハーモニー・コリン監督作品は観たことがないんですよね。ただ、息の抜けるような作品かなと、予告を見て感じたのでガス抜きのように観てきました。
GW期間中ということで、朝一の回だったのですが、結構混んでいましたね。
~あらすじ~
偉大な詩人であるムーンドッグは、その名声や富とは裏腹に、カリフォルニア州のキーウエストで自由気ままに過ごしていた。
毎日釣りをして遊んだり、夜になればパーティへ出かけて好きなだけ酒を飲み、いつもマリファナをふかして、そして思いつくたびタイプライターで詩を書き溜める。
娘の結婚式でも準備に参加せず、当日も遅刻して来てただ同じように酒を飲んで自由に遊んでいた。
だが、愛する妻ミニーとドライブに出たとき事故を起こしてしまい、ムーンドッグは軽傷で済んだがミニーは息を引き取ってしまう。
そしてミニーの遺言には、ムーンドッグが次の作品を書き上げるまで、彼の財産をすべて没収すると書かれていた。
隠して一文無しになったムーンドッグだが、浜辺で寝転がり、ふらふらと町を歩き、酒とマリファナを摂取しながら変わらずに過ごすだけだった。
感想レビュー/考察
単なる更生ものとかカムバック映画ではない
間違いなく人を選ぶ作品だと思います。
この作品に関してはまあまあとか及第点とか、普通に楽しめるとかはないのかなと感じましたが、それはハーモニー・コリン監督作品共通なのでしょうか?
カルト的にすごく愛する人と、金・時間の無駄で意味の分からない作品と思う人とで分かれてくると思う、そんな作品です。
おそらく、ハーモニー・コリン監督がここで提示する映画の在り方がかかわっていると思いました。
今作でもし上げるとすれば、その脚本に関してでしょうか。散漫であるとか焦点がないとか、そこで引っかかる人が多いかと思います。
ムーンドッグというかつて栄光を手にした芸術家。転落したような生活。厚生施設や様々な人との出会い。
要素だけ並べてみると、よくある復帰ものにも思えるんです。自堕落なアーティストがあるきっかけで立ち直り、最後は素晴らしい作品を出して復活!というような話は何度も繰り返されてきたと思います。
ムーンドックは終始変わらない
ただ今作においては概ねそのプロットをなぞる部分こそあれど、スタンスそのものが異なっています。
ムーンドッグは変わらないのです。初めから最後まで変わりません。成長も進歩も、後悔も再スタートもしない。それはある意味で彼が完全な存在だからだと思いました。
私もはじめはムーンドッグというダメ人間が徐々にまじめになる話にとらえていましたが、それは起こらず、しかしそこにはあまりイラつかず、最後にはムーンドッグはこのままで良い、そして彼こそ目指すべき人間の在り方であるかもとすら思いました。
ここまで言えばわかるでしょうけれど、私はこの作品肯定派です。
カラフルな画面と優しい音楽の波で心地よく不真面目に
ハーモニー・コリン監督は極彩色に包まれた世界のカラーを、いたるところに配色します。
背景となる街並みも海も、そして常に出てくる人物の服装はトロピカル。
様々な色がまじりあい、混沌としているそれ自体が不思議な秩序を感じさせます。
それぞれ着こなしてしまうマシュー・マコノヒー、ランジェリーがばっちりなアイラ・フィッシャーなど役者陣もさすがですし、ギラつきすぎずに、でもカラフルでファンタジックな画面を作り出しているブノワ・デビエの撮影も見事です。
(彼はハーモニー監督前作の「スプリング・ブレイカーズ」やジャック・オーディアール監督の「ゴールデン・リバー」などを手掛けている方)
視覚的な部分でのファンタジックさのほかにも、音、聞こえてくる点での調整も巧みに感じました。
使用されている楽曲もそれ自体が語りのようですが(個人的には”Is That All There Is”がシーン含めて印象的)、スコアを手掛けたジョン・デブニーの力が非常に大きく感じます。
そこにはやたらなEDMもないですし、ヒップホップやポップさもなくて落ち着いている。底に横たえる美しいメロディが全体を調和し、穏やかで優しい印象を与えています。
これらがそろうからこそ、今作のムーンドッグの生き方も空気もすべてがマイルドになっていると思うのです。
グダグダと過ごし自由奔放でも、そこに不快さがないのは、各セクションが非常に計算されているからでしょう。
無垢なる放浪者の似合うマシュー・マコノヒー
もちろんセンターにいるマシュー・マコノヒーのハマり具合の良さにも感謝です。
「MUD マッド」でもなんだか色気ある浮浪者を演じきっていた彼には、このムーンドッグ役がしっくり来ています。
彼の中にはイノセンスが感じられるからでしょう。冒頭で白い子猫を保護する点で(動物に優しいのはもう象徴的)示されますが、彼の行動そのものは他人を傷つけようというものではないのです。
ザック・エフロン演じるフリッカーとの行動でも、ムーンドッグは乗り気ではなく止めています。
不快な雰囲気を作らない映画のトーンの中で、マコノヒーが輝いて見えました。
一見ヘロヘロとしていても、ミニーの最期のマコノヒーはさすがでしたね。
あそこで急にトーンを変えたりシリアスになるんじゃなくて、あくまでムーンドッグらしい笑顔は持っているのに、彼の悲しみがそこに出ていました。
ムーンドッグは終始変わらず、そんないつもの彼に合わせて世界が回っているように、周囲の人間たちも彼の雰囲気にのまれている。
なぜ何かを背負う?人生なんてただ愛し楽しむものだろ?
物語には成長や進化、勝利が求められます。
挑戦がありそれを超えていく。ただこの作品はそんな求められるものにすら応える気がない。
ただ、他者からの要求にはとらわれずに、そのまま自由に居続ける。
ムーンドッグとこの作品はそんな自由さを持っていながらも自分勝手ではありません。むしろ周囲に楽しさをくれています。
本当は生きるってこんな感じに楽しむものだろといわんばかりに。
フリッカーに言われるように最後はみんなのために光を振りまき、自分の富すらもその光のための燃料にするムーンドッグ。
こんなにも全てから解放されていて、そのセンターには世界を楽しむことと、そして最愛の人への愛だけが変わらずある。これって人間としてあるべき姿かも?
初めてハーモニー・コリン監督の作品を観ましたが、マシュー・マコノヒーの適役さや画面と音での世界構成によって完成された、自由な映画で気に入りました。
劇場公開状況が不安定ですが、ちかくで公開されたらぜひ。
今回の感想はこのくらいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。それではまた次の記事で。
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