「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」(2017)
作品解説
- 監督:ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファレス
- 脚本:サイモン・ビューフォイ
- 製作:クリスチャン・コルソン、ダニー・ボイル、ロバート・グラフ
- 音楽:ニコラス・ブリテル
- 撮影:リヌス・サンドグレン
- 編集:パメラ・マーティン
- 衣装:メアリー・ゾフレス
- 出演:エマ・ストーン、スティーブ・カレル、アンドレア・ライズボロー、サラ・シルバーマン、ビル・プルマン、アラン・カミング、エリザベス・シュー 他
「リトル・ミス・サンシャイン」(2006)のジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファレス監督コンビによる、実在のテニスの女王ビリー・ジーン・キング夫人と、元男子テニスチャンピオンのボビー・リッグスとくり広げた、バトル・オブ・セクシーズ=性別間の戦いを舞台とした作品。
キング夫人を演じるのは、「ラ・ラ・ランド」(2016)などのエマ・ストーン、そしてボビー・リッグスを「フォックスキャッチャー」(2014)のスティーヴ・カレルが演じています。
また、キング夫人が愛した女性マリリンを「バードマン」(22014)でエマと一緒だったアンドレア・ライズボローが演じています。
公開日の夜に観たかったのですが、仕事が終わらず。
土曜日の朝一で観てきたのですが、日比谷シャンテ、朝の回から結構混んでいましたね。
ほとんど満員じゃないかな?
~あらすじ~
1973年。女子テニスのチャンピオンであるビリー・ジーンは女子選手の給与が男子のたった8分の1であることに抗議し、テニス連盟を脱退し、女子テニス協会WTAを発足する。
トップ選手である彼女の行動を知った、当時シニアで、元男子テニスチャンピオンのボビー・リッグスは、ビリー・ジーンとの男女対抗戦を思いつくのだった。
見世物の試合には出る気もなく、ビリー・ジーンは女子テニスツアーに打ちこむのだが、運命は彼女を逃がさなかった。
感想レビュー/考察
歴史に残るテニスのエキシビションマッチである、”バトル・オブ・ザ・セクシーズ”。
女子テニス界の伝説的プレイヤー、ビリー・ジーン・キングと元男子テニス選手ボビー・リッグスとの男女対抗戦を題材とした作品ですが、しかし戦いはどちらかといえばコートの外で繰り広げられているものでした。
今作はもちろん男女のテニスの試合に向けて展開されていくのですけども、その本当の戦いは、男も女も生きたいように生きること、そのための戦いだと感じました。
ビリー・ジーンがWTAを発足したことや、彼女がリッグスと戦い、勝ったことがどれだけの影響を今にまで与えているのか。
女性の給与格差に始まり、地位の低さや不当な扱いなど、結局は女子選手添え物とされてしまうテニス会。
ビリー・ジーンはハッキリと答えるように、女性の方が優秀であると言いたいのではなく、敬意を払えと言いたいのです。
男性に出来ることをなぜ女性にはさせないのか。
同じく全てをかけて戦っているのに、なぜ冗談として扱われるのか。
テニス協会の保守的な考えや態度にはかなり苛立ち、はじめから観客はビリー・ジーンに共感すると思います。
そうして男性主義に立ち向かっていくという基本の流れはあるのですけども、今作はそれだけではなく、より広く深い葛藤と社会問題に挑戦しています。
まず、ビリー・ジーンを演じたエマ・ストーンですが、彼女はその肉体的な部分での存在感というのをすごく感じました。
体作りもそうでしょうけども、すこし浮いている存在感があるのです。
それはエマ・ストーンの顔立ちにあるのかなと思いました。
彼女は個人的にですが、すごく現代的な顔だと思うのです。
小さなアゴに大きな眼で、それこそ時代ドラマには向いていないような。
しかし今作では逆にその顔立ちが、70年代において少し浮いた、ちょっと時代を先行したような雰囲気がででて良かったですね。
そしてビリー・ジーンの対戦相手となるボビー・リッグスを演じたスティーブ・カレル。
彼もその見た目と肉体の面でハマっています。
コメディチックだということだけではなくて、彼の存在そのものが道化的であるからです。
ある意味で、すごく可哀想なのですよ。
今作は男女両者がそれぞれ生きたいように生きるための戦いと言いましたね。
私はこの作品が、男性至上主義の豚と、女性の権利を求めるフェミニストの戦いには思えなかった。
ビリー・ジーンの一番のドラマは、彼女がマリリンを愛しているのに、それを表に出せないこと。
同姓愛者であることを隠すしかなく、それによって傷つきまた夫を傷つけてしまうことが一番のドラマとして描かれます。
また一方で、ボビー・リッグスは、実は男性的なマチズモなどいっさい描かれません。
子煩悩な彼はジュニアと遊ぶのが好きで、妻のプリシラがいないと何も出来ず、追い出されると行き場もなく息子の家に転がり込んでしまうような男です。
賭け事が好きで、自由に生きたいと思い、実は妻なしでは生きられない。
保守的な強い男性を象徴なんて、これっぽっちもしていません。
二人はすごく似ていますね。
お互い世間から強い存在として認識され、ある種のレッテルを貼られていて、それに苦しんでいる。
周りを気にして自分を出せないのですから。
そんな二人を、35mmのカメラは味わいある優しい写し方をします。
70年代の空気が画面から漂うようなリヌス・サンドグレンの撮影がとても好きです。
特にビリー・ジーンが初めてマリリンと出会う場面の、幻想的なとろけるような画面は美しかったですね。
「それで、ビリー・ジーン、あなたはどうしたいの?」
初めてキング夫人ではなく、女子テニスのトップでもなく、一人のビリー・ジーンという女性として見つめられたその嬉しさが伝わってきます。
二人の親密なシーンでの色合いや、手持ちなのかフワフワと揺れるカメラも見事でした。
それはボビーに試合の後に向けられた、優しいカメラにも言えます。
性別間の戦い。
一見すれば、女性が男性に打ち勝ち、平等な権利と尊敬を勝ち取る物語です。
もちろん、ビリー・ジーンが成し遂げたことは大きいでしょう。
彼女がここで勝ったからこそ、真剣なプロとしてリッグスを負かしたからこそ、今に続くのです。
彼女の歴史的な功績をしっかり伝える点でも、職人的な仕事をしていると言えます。
勝利の瞬間に夫と抱き合った後、マリリンへと近づこうとするもレポーターに遮られてしまう。
衣装デザイナーのテッドに言われるように、まだまだ愛したい相手を愛することはすこし遠いのかもしれません。
しかし、確実にこの勝利が、そこにたどり着くまでの一歩を踏み出したのです。
そして、私にとっては女性の勝利だけではなく、男性の、リッグスの敗北が重要に感じました。
男性が女性に負けたこと。ボビーは負けることができたのです。
男性であるからこそ、女性より強くあらねばならない。
何か言えば、しっかり女性を抑え、男らしいところをみせなければならない。
そういったものを背負わされ、勝手に期待をされ応援され、最終的には失望された。
しかし、それでやっと、ボビー・リッグスは解放されたのです。
もう強くなくて良いし、奥さんなしじゃダメな男であっていい。
ボビーはビリー・ジーンに負けることで、呪縛から解放されたように思えました。
何度も何度も映し出されるのは、画面の中の半分くらいの枠に見える、座り込むビリー・ジーンとボビー・リッグス。
そして去っていく人を追うカメラは、鏡に映るビリーを捉えますね。自分で観る自分は、本当の自分なのか・・・
ジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリス監督はこの歴史的マッチを通して、ビリー・ジーン・キングの挑戦と、同時にボビー・リッグスの苦難も描きました。
そしてアイデンティティーの葛藤をセンターにこの時代彼らの試合が今に至るまでにもたらした影響を見せつけます。
いつか自分の欲しいものが得られると信じ、リスクを冒して戦った二人を称えていると感じました。
あと、エンドロールのSara Bareillesによる”If I Dare”も作品に非常にあっていて素敵です。
リスクをとり、最後まで信じれば必ず勝ち取れる。
ビリー・ジーンを歌ったようでした。
今回は結構長く書いてしまったのですが、それだけ熱くおもしろく応援したい作品。
唯一の欠点を言いますと、テニスの試合シーンのスピードが足りないところかな?
でも、本当に良い作品ですので是非見てもらいたいです。おススメです。
と、こんなところで感想は終わりです。それでは、また~
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