「ベイビーティース」(2019)
- 監督:シャノン・マーフィー
- 脚本:リタ・カルニェイ
- 製作:アレックス・ホワイト
- 製作総指揮:ジャン・チャップマン
- 音楽:アマンダ・ブラウン
- 撮影:アンドリュー・コミス
- 編集:スティーブ・エバンス
- 衣装:アメリア・ゲブラー
- 出演:エリザ・スカンレン、トビー・ウォレス、エッシー・デイヴィス、ベン・メンデルソン 他
オーストラリアで活躍し世界的に注目を浴びるシャノン・マーフィー監督が、余命わずかな少女の初恋と彼女の両親を描き出していくドラマ。
主演は「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」のベス役で非常に印象強いエリザ・スカンレン。
実際にはこちらの作品のほうが前に公開されたもののようです。
恋人となる不良青年をトビー・ウォレスが演じます。
また両親役には「ババドック~暗闇の魔物~」などのエッシー・デイヴィスと「ローグ・ワン」や「ウーナ」のベン・メンデルソンが出演しています。
作品は本国オーストラリアはもちろん数々の国際映画祭でも賞を獲得しており、批評筋の評価は非常に高いものになっています。
2020年時点でロマンス映画の中でもすごくよく聞くタイトルになっていたので、日本公開を楽しみにしていました。
公開週末には行けなかったのですが、祝日がありそこで観賞。
ただ朝早い回立ったこともあってから自分含めても10名いなかったというような状態でした。
がんを患い余命わずかなミラ。
母は精神的に不安定になり、神経科医の父の診察を受けては抗うつ剤を処方してもらっている。
そんなある日、駅のホームでミラはモーゼスという青年に出会う。
身なりも汚く家を追い出されてストリートをさまようモーゼスだが、ミラにとっては輝いて見えあっという間に恋に落ちた。
もちろんシビアな時期に、薬物問題も見えるような、そして年もかなり上のモーゼスと付き合うことに、両親には反対する。
しかし、ミラは自分の好きを優先しモーゼスと付き合い始める。その一方で確実に病は確実にミラの今を蝕んでいった。
シャノン・マーフィー監督はオーストラリアの学生時代からすごく優秀な期待の人物だったようです。
卒業制作からかなり良い評価を得ており、この作品は間違いなくブレイクスルーであり組んでいくキャスト含めて彼女の幅が広がっていくきっかけになったようです。
そして私ももうすでに彼女の次の作品が楽しみで仕方ありません。
もともとは舞台劇であり、映画的なスケールという意味でこそもちろん小さな作品ではありますが、しかし監督の演出は確かなものです。
それはもちろん演者の良さにも支えられているとは思いますが、すべてにおいてバランスよく、単純なロマンスの枠組みを超えていく手腕に驚かされます。
全体の中では自分には粗っぽく感じる部分ももちろんありました。
ヘンリーと微妙な関係になっていく向かいの妊婦さんや、アナにいまだ思いを寄せているピアノ教室の先生などは、ちょっと余計にすら感じます。
というか、両親の描写を深くするために必要とされて用意されたキャラクターな気がしてしまいます。
チャプターごとのタイトルについては、一部”Fuck this”だったり直接的なセリフの投影にも思える点があり、楽しい半分説明的半分といったところです。
それでも、そここそ映画的語りにもなるとは思うのですが。
ただ、総じて言えるのは驚異的なバランス感覚でありながらすごくいきいきとした躍動感を同時に感じる作品です。
今作はいわゆる難病ものです。
不治の病をかかえる余命わずかな少女。初恋。
死別へと向かっていくことが分かり切っているもので、これはお涙頂戴物の感動ポルノになってしまってもおかしくはないものです。
確約された”悲しさ、切なさ”は非常に危険ですからね。
なんなら不快にすらなりかねない題材なのです。
しかし、シャノン監督はそこを根底にはとらえながらも、もっと広いスケールで話を展開させていきます。
リーチが広いのです。単純にティーンムービー、青春映画だけではないというか。
間違いなく若い世代だけではなくもっと年齢的にも広い層へアプローチしています。
その深さ、広さには驚かされました。
まずミラの絶望的な心情と初恋というものが輝いています。初恋は初恋でしっかりしている。
ミラは決して盲目な少女というわけではないですが、おそらく彼女自身の将来(将来の無さ)を考えると、モーゼスはまだ自由で生きている存在として見えると思います。
バイオリンの練習はこの先のためのものです。でも本番の演奏を迎えることはできるのか。
ミラには自信がない。だからこそ今流れている音楽に合わせて踊るほうがよっぽど良い。
ミラに関してはエリザ・スカンレンがまた見事でした。表層上を取り繕うバカさです。
ミラは賢い子です。ただ今は、バカになっていて瞬間を生きていたい。自分自身を見つめる辛さから、誰かに夢中になっていたい。
そんな切なさが感じられるんです。
心底解放されているわけではないことを匂わせています。
ただ、ミラを中心にしながらも、その死そのものを過剰に焦点にしない。
病院での診断とか化学療法のシーンとか、ミラが本当に辛そうだなと、憐れむようなシーンがほとんどないんです。
それは死ではなく、生にこの作品が向いているからです。
トビー・ウォレス演じるモーゼスもただのきっかけではありません。
彼自身の側にも親を失うという喪失が描かれています。まるでミラがこれから死別するのと同じく、モーゼスもまた母を失っている。
トビー・ウォレスは転調の激しさが良かったです。
モーゼスがいるのはミラのためなのか薬のためなのか曖昧な感じを出せるんです。
そして両親。
エッシー・デイヴィス演じるアナはその脆さがOPから見えていますね。
娘を失うことに対する怖さから壊れている。ピアノを弾くことを捨てることで娘に何か与えられないかという彼女もまた深い造形でした。
そして自分はやっぱりベン・メンデルソン。
個人的に好きな俳優ということもありますが、彼という俳優の幅の広さには本当に圧倒されます。
狂人から小悪党、善良な父までできる。
ただ、すごく人間臭い。ミラとアナを支える存在として彼なりに悩む。
家でもやたらとヘンリー!と呼ばれることが多いのに、外に出ても名前を叫ばれるのは笑えます。
やはり最終的なクライマックスは泣けます。
最も感情が爆発する場面です。
でもここに来て監督が注視するのはミラではなく周囲の3人です。
あっさりするほどに訪れる別れ。ミラはほとんど画面に映さず、そこには3人がいます。
皆で大泣きするわけではなく、それぞれのリアクションに人物らしさが見えるのも良いですが、画面の構成も良かったです。
少し離れたカメラで、広い空間にアナとモーゼスが置かれていて、ミラがいないその空いてしまった空間が強調されるようでした。
また二人が抱き合い涙する瞬間に、手持ちカメラ?がくっと動いたのも印象に残っています。
そしてラストの構成が象徴的でした。死を映画の最後にするのではなく、生を主とする。
時系列では”今”ではなくなってしまったのですが、記憶に残るべきはミラの死ではなく彼女の生。
そしてエンドロールまで続く、海を映し出すロングカットが最後までミラが生きた時をながし続けるのです。
プロットによらずもっと幅広く題材を拡げ、しかしバランスの良い青春映画であり家族ドラマ。
もちろん荒い部分はありますが、シャノン・マーフィー監督の生きることの讃歌は光輝き、観る人に生命力を与えてくれます。
今回の感想は以上になります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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