「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」(2022)
作品概要
- 監督:コリン・トレボロウ
- 脚本:コリン・トレボロウ、エミリー・カーマイケル
- 原案:コリン・トレヴォロウ、デレク・コノリー
- 原作:マイケル・クライトン
- 製作:フランク・マーシャル、パトリック・クローリー
- 製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、コリン・トレボロウ
- 音楽: マイケル・ジアッチーノ
- 撮影:ジョン・シュワルツマン
- 編集:マーク・サンガー
- 出演:クリス・プラット、ブライス・ダラス・ハワード、イザベラ・サーモン、サム・ニール、ローラ・ダーン、ジェフ・ゴールドブラム、B・D・ウオン 他
2015年から新たにシリーズがスタートした「ジュラシック・ワールド」。スピルバーグ監督が生み出した恐竜シリーズ「ジュラシック・パーク」の続編として生まれたこのシリーズも、第3作品目にしてついに終幕となります。
監督は前作の「ジュラシック・ワールド 炎の王国」のJ・A・バヨナから交代し、1作目の監督コリン・トレボロウが再び努めます。
クリス・プラットやブライス・ダラス・ハワードに加え、今回は初代シリーズからサム・ニールとローラ・ダーンも登場しまさに集大成と呼べるキャストがそろっています。
ジュラシックシリーズでは6作品目でありついに最終章となる今作。もちろん、前作ラストの広がり方はそれ自体で終わっても良かったですが、恐竜のいる世界からどんなものを展開するのかは期待していました。
とはいえ、正直言ってトレボロウ監督とは相性最悪なため不安でしたし、知っていたというか、批評面でのあまりの評価の低さもあって、気持ちは低め低めで待っていました。
公開週末に朝の回で観てみてきました。通常字幕で朝だったからか、そこまで混んではいなかったですね。
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~あらすじ~
イスラ・ヌブラル島の大噴火とメイジー・ロックウッドの手によって恐竜たちが解き放たれたことで、世界各地に恐竜たちが生息している。
恐竜にかかわる事故や事件が増えてきている中で、各企業や政府は自治区や保護区を制定し、なんとか恐竜たちをコントロールしようとしていた。
その一方、アメリカ中西部では巨大なイナゴの大群が観測され、驚異的な繁殖力と拡散により食糧危機が危惧されている。
ジュラシック・ワールドでの事件解決に尽力したオーウェンとクレアは、恐竜たちの保護を進めつつ、世界中から人間のクローンとして注目を集めるメイジーを匿っていた。
しかしある日、ヴェロキラプトルのブルーの子どもとメイジーが強盗団に拉致されてしまう。オーウェンたちは彼女たちを助けに奔走。
同じころ、イナゴの大群がある特定の会社の作物だけを避けることを調べていたエリー・サトラー博士は、かつてともにジュラシック・パークの事件にあたったアラン・グラント博士のもとを訪ねていた。
感想/レビュー
1993年に映画史に登場し、正直なところこのシリーズがなければ恐竜ブームや現在のような恐竜というコンテンツの位置づけはなかったのではないかという傑作、「ジュラシック・パーク」。
私自身も幼少期にその夢とロマンに魅せられ、恐竜展には行きましたしアラン博士のまねごとをして遊んだり、ジュラシックパークシリーズには人生を豊かにしてもらいました。
そういう意味で、ただの映画シリーズだという風には見ていませんし、見ることができない作品群です。
落胆と失望は悲しみに
とするならば、この2015年からの新シリーズとその最終章、ジュラシックシリーズの30年にわたる終焉は、なんとも失望と落胆に包まれたものとなりました。
どこからどういえばいいのかは難しいですが、
- ジュラシックシリーズとしての意味のなさ
- 映画として破綻した脚本や構成
- 昨今多い”すでに好かれているコンテンツ”の羅列
が大きな特徴ではないでしょうか。
本当にがっかりしましたし、そのため息と同時にこのシリーズが終わったのだと実感すると、悲しくなってきました。
監督の力量には疑問がある
はっきり言ってコリン・トレボロウ監督は第1作の「ジュラシック・ワールド」の時点から嫌いです。基本構成としての導線や感情起伏、倫理というものがとにかく合わないのです。
それは今作でも同じ。全くの張りぼて映画としてあまりに空虚すぎる。
今作ではあろうことか(1作目でもうまくいってなかったのに)プロットを複数従えて、それぞれ別行動をとらせています。
それが集約していく様がおもしろいとか、見事なシンクロをしているとかはないです。皆無です。
ジャグリングをする気すらないように思えるへたくそさで、主たるプロットとしてのブルーの子どもとメイジーの奪還、イナゴの大群の解決のたった2つすらまともに進められないのでしょうか。
ジュラシックじゃない映画
ブルーのこどももブルースらもただいるだけです。何かしましたでしょうか。
またメイジーのドラマにはそのティーンの扱いの難しさ以外になにかあったのでしょうか。ここは家族の構築というテーマを掘れたと思うのですが、あまりに浅はかです。
置いてきぼりな恐竜たちはあまりにひどい。
少なくとも、インドミナス・レックス、インドラプトルというの阻止すべきヴィランとして登場し、明確に敵がいたこれまでの2作に比べて、今回は何を解決すればいいのでしょう。
腐った企業の話はいつものことですが、恐竜側がここまで記号的だとタイトルを変えたほうがいいんじゃないかと思うほどです。
いろいろな種類こそ出てきますが、いるだけです。
そこには太古の鼓動を感じる感動も、下手なホラー映画よりも怖いスリリングさもない。ギガノトサウルスが一応は明言されて何度か出てきますが、なんですかあれは?
最後のセリフをそのまま使わせてもらうと「俺たちには関係ない」ですよ。あの恐竜やT-REXの戦いが、メインのドラマに何か影響するのでしょうか。
記号として使われる想い出のキャラクターたち
さらに最悪なのが、今作でのオリジナルシリーズの俳優陣、キャラの使い方です。
アラン博士とエリー博士。
私は子ども嫌いだったアランが次第にハモンドの孫たちと絆を深めていくドラマも、エリーの科学者としての喜びとドラマも好きでした。
それがマルコム博士も含めてですが、いるだけじゃないですか。この人たちだからこそ進んでいくプロットなどはありましたか?
盛り上がらない変な演出
他にも、印象的なショットがほぼ無いこととか、やはり盛り上げ方はトレボロウ監督のテイストが理解できない点があります。
一作目でも言いましたけど、音楽の使い方は意味不明ですよね。
今回もあの有名なテーマ曲が流れる瞬間がありますが、とってつけたような変なところで流れます。
初代でのブラキオサウルスのシーン、炎の王国ならインドラプトルが月夜に吠えるところなど、印象的なショットとともにそれぞれテーマが使われていたのですが、何を考えてこの構成にしたのか理解に苦しみます。
ただただ長尺なだけで退屈し、想い出が壊れていくような感覚があり。
世界の支配者は人間か、恐竜かに対して、薄っぺらい共生のメッセージを入れ込み。
前作にて禁忌たる人間のクローンを登場させ、そこから生命を操ることの挑戦も見えていたのに、よくわからない感じで処理されます。
バヨナ監督が良かった
結論として新シリーズは不要だったのかというと、2作目の「ジュラシック・ワールド 炎の王国」はJ・A・バヨナ監督のおかげでビジュアル的には興味深く、作家性とフランチャイズのいい例を感じたのでそれは残すべきと思います。
まあそれはそれとして、結局はこのワールドシリーズについては、すでに終わっていた黄金のシリーズを無理やりにその現代技術でよみがえらせ、ただ混沌を繰り広げるというジュラシックシリーズそのものになってしまったということです。
最終作ですから、シリーズのファンは観に行くでしょう。しかし夏休み映画だとしても到底お勧めできる出来栄えではないです。
大人しく「トップガン:マーヴェリック」を見てください。家族でもカップルでも友人とでもそっちの方が100倍は楽しめます。
というところで酷評で終わります。予想していたけれど、やはりジュラシックシリーズが酷い出来だと悲しいですね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
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