「モンキーマン」(2024)
作品解説
- 監督:デヴ・パテル
- 製作:デヴ・パテル、ジョーモン・トーマス、ジョーダン・ピール、ウィン・ローゼンフェルド、イアン・クーパー、ベイジル・イバニク、エリカ・リー、クリスティーン・ヘーブラー、サム・サーヘニー、アンジェイ・ナグパル
- 製作総指揮:ジョナサン・ファーマン、ナタリヤ・パブチンスカヤ、ジェイソン・クロス、スラージ・マラボイーナ、アダム・ソーメル、アーロン・L・ギルバート、アンドリア・スプリング、アリソン=ジェーン・ロニー、スティーブン・ティボー
- 原案:デヴ・パテル
- 脚本:デヴ・パテル、ポール・アングナウェラ、ジョン・コリー
- 撮影:シャロン・メール
- 美術:パワス・サワットチャイヤメト
- 衣装:ディビア・ガンビール、ニディ・ガンビール
- 編集:ダービド・ヤンチョ、ティム・マレル、ジョー・ガルド
- 音楽:ジェド・カーゼル
- 出演:デヴ・パテル、シャールト・コプリー、ソビタ・ドゥリパラ、シカンダル・ケール、マカランド・デーシュパーンデー 他
「グリーン・ナイト」などで知られる俳優デヴ・パテルが、8年の構想を経て監督デビューを果たしたアクション映画。架空のインドの都市を舞台に、1人の男の壮絶な復讐劇を描きます。
主演もデヴ・パテルがと止めています。また、「第9地区」のシャールト・コプリーや「ミリオンダラー・アーム」のピトバッシュが共演。
脚本はパテルのほか、ポール・アングナウェラと「ホテル・ムンバイ」のジョン・コリーが担当し、「アス」や「NOPE ノープ」のジョーダン・ピールがプロデューサーを務める。第31回サウス・バイ・サウスウエスト映画祭で観客賞を受賞しました。
デヴのインタビューによれば彼自身がずっと温めてきた企画ということで、撮影が完了し編集の段階になったからジョーダン・ピールが参加し、ジョーダン自身が自分の製作会社で買い取ったと言います。
もともとはネトフリに行きそうなところ、このような経緯から劇場公開にこぎつけた今作。前評判は聞いていたし、デヴ・パテルの監督デビューかつ彼のイメージにはなかったバイオレンスアクションということで楽しみにしていました。
公開された週末に観に行けなかったので、平日の夜の回に鑑賞。結構混んでいました。
~あらすじ~
幼い頃に故郷の村を焼かれ、母を殺されて孤児となったキッド。困難な人生を歩んできた彼は、現在、闇のファイトクラブで「モンキーマン」として猿のマスクを被り、殴られ屋として生計を立てている。
ある日、彼は自分の全てを奪った者たちのアジトに潜入する手がかりを見つける。彼らは今や国を牛耳るトップの政治家とその裏で汚れ仕事をする警察の上層部であり、簡単には近づけない。
しかしキッドの中で長年抑え込んでいた怒りは爆発し、彼は暗殺に乗り出した。しかし、暗殺は失敗しキッドは警察に追われる身になってしまう。
ケガをした彼はヒジュラたちの住んでいる寺院に匿われることになり、傷をいやしながら果たすべきことを果たすため厳しい修行に打ち込むことに。
そして復讐の化身「モンキーマン」として壮絶な戦いに挑むことを決意する。
感想レビュー/考察
デヴ・パテルの役者の幅が楽しめる
俳優として活躍しているデヴ・パテルですが、彼自身があまり演じていなかった役を選ぶとともにそれを初の監督作品にしています。なので、正直どうなるのか不安もあり楽しみもあり。
結果として意外なジャンルでの彼の光り方を見て、さらに可能性を感じる作品になっていました。
「スラムドッグ・ミリオネア」に「LION ライオン」、「どん底作家の人生に幸あれ!」から「グリーン・ナイト」などある程度彼の出演作を見てきましたが、ずっとどちらかといえばドラマよりな印象を持っていました。
それでも様々な役の幅を持っていて、それぞれで大きくルックを変えないものの、様々な役ができる俳優でした。
細身で脆く、傷ついた男
特に彼に感じるのは、その身体的な特徴から出てくる脆さです。
常に”運命に翻弄される”役を演じてきたようにも見える彼は、手足が長く細長い。どこか弱々しく傷ついた顔立ちと眼差しを見せ、幼さの残るような顔を見せる俳優です。
なので、超人的な復讐人とか、殺しを従える闇の男といった触れ込みで強烈なバイオレンスアクションだと言われると疑問がありましたが、間違いなくデヴ・パテルの映画でした。
彼のような最強感のなさが、今作のキッドには必要なのです。
例えば今作が参考にしている(作中の会話でも出てくる)「ジョン・ウィック」のような覇気や存在感というモノはなく、そして往年のアクション無敵スターたちのようなハチャメチャなフィジカルもない。
序盤の暗殺ではあと少しのところですぐに引き金が引けなくて、結構やられてしまうところも多い。
無双的な感じよりもむしろ奮闘して傷つきつつ前に進む。前に進むのは精神力。だからこそアクション性の華麗さやアイディアに負けず、精神の旅がしっかりと語られていくのです。
ハヌマーンの神話とモンキーマンの復讐の旅
作品は神話をベースにしていく。母が幼いキッドに語る回想で示されていくハヌマーンの物語。
ハヌマーンといえば結構日本のサブカルでも猿の神様として言及されたり出てくることがありますね。
この猿神はもともとは紀元前3世紀ごろに記された叙事詩「ラーマーヤナ」において、謀略により国を追われてしまったラーマ王子が、魔王ラーヴァナの手にある妻シータを取り戻す旅に出てきます。
物語の中で謙虚なハヌマーンは、ラーマのため協力し、猿の軍団を率いてシータを助けに行くのです。
また母が語り聞かせる神話では、太陽を熟した果実と勘違いして登り、そこで一度は地に落とされてしまうという話もあります。
ここで神話では雷で打ち付けられたハヌマーンは一度死んでおり、破壊神シヴァが彼を再生し、その後雷に対する耐性を、さらには火や水に対しても体制を与えられ、強く熟練した立派な戦士になり戻ってくるのです。
映画においても、ソビタ・ドゥリパラが演じている高級売春宿キングスクラブのコールガールはシータという名前です。彼女はキッドの痛みを理解し、そして汚れていない存在ですが、今作の魔王であるラナに私物のように扱われています。
また、キッドは一度は敵のアジトへ行くものの、返り討ちにされますが、川へと落ちるシーンなど含めてやはり太陽に近づいたハヌマーンを思わせます。
目覚めた寺院にはシヴァ神の像もありましたし。さらにヒジュラのみんなを連れて最終決戦に挑むのは、まさにラーマと共に猿たちを引き連れた戦いを再現しているのでしょう。
さてそんな神話をベースにおいて、キッドの物語は他の映画からの影響も感じられます。
先程言ったような「ジョン・ウィック」もあり、デヴ・パテル本人が「燃えよドラゴン」などブルース・リーのファンでありそこからのインスパイアもあるとか。
なた主人公に名前がない点はマカロニウエスタンやレフン監督の「ドライヴ」を思い起こしました。
社会における女性への性暴力を源泉に生まれた強烈な怒り
スタイル自体はそれらとして、この映画が持っている怒りがどこから来るのか。
それに対しデヴ・パテルは2012年のNirbhayaの事件を言及しています。バスの中で若い女性が6人の男たちに暴行、レイプ、拷問され死亡した事件です。
6人の中には未成年もおり、彼は3年の少年院への服役というかなり不公平な判決を、残る5人の成人男性らは極刑を言い渡された事件。
詳しくは世界各紙が報道していますが、概要を聞くだけで心が乱され怒りがこみ上げる事件です。デヴ・パテルはこの事件を読んだときの感情をそのままに脚本を書き始めたとのこと。
今作に格差や暴政だけでなく性暴力(直接的なものと、シータのような性的搾取)も含まれているのはこういった背景があるようです。
背景にあるテーマを理解した脚本の取捨選択
デヴ・パテルの思い入れが非常に強い企画ですが、彼の演出と判断も素晴らしいものがあります。
今作はドラマを持っているのですが、背景には先に挙げたような事件があります。
大人数で、力を使った性暴力。
なので製作においてキッドとシータの恋愛関係、キスシーンの追加を打診された際、デヴ・パテルがはっきりと断ったようです。性被害が背景にあるためそのような要素を入れるのはおかしいと。
ストーリーテリングの中での取捨選択に彼の一貫性が見えます。
予算がない中での創意工夫と譲らない部分
そしてさらに創意工夫です。今作あまりにも予算がなかったらしいです。
なので中盤のカーチェイスは通りを借りて通行止めも難しく、接写多用して誤魔化してるとのこと。たしかにガチャガチャして見にくいのはあるんです。
社内から外を観ているカメラも、撮影機材も積み込むためのギアもなく、デヴ・パテルの私物のiPhone使ってるらしいのです。
ただこのコスト削減でもデヴ・パテルが譲らなかったところがあります。何度もでてきて、主人公の原動力になる母との思い出のシーン。森の中でハヌマーンの伝説を聞かされるところ。
ロケ代が厳しいので、近場のゴルフ場の一角で森の中っぽくして撮影しようという案にデヴ・パテルが反対し、インドネシアの森に行って撮影したとのこと。
母との思い出における優しく温かな森林の空気は、人工のゴルフ場では絶対に演出できず重要なものだからと頑なに意見を曲げずに撮影をしたのです。こういうとこ、外して良いところとそうじゃないところを判断する力が監督として素晴らしいと思います。
作中は町中やスラムが多い中で、あの母との思い出で森の空気が一層美しく印象的に見えますから。
アクターディレクターとしてのデヴ・パテルに今後も注目
根底のテーマからそこに対して一貫して脚本や演出を見極めてきたデヴ・パテル。
細身のシルエットが織りなす戦いには彼自身がテコンドーの黒帯を持っていることからも来る華麗なアクションが映えます。
一部では007も演じられるとの声がありますが、理解できます。ロボットのように淡々と冷酷な目で殺しをできる中で、瞳の奥底には寂しさと悲しみに溺れている少年が見えるのです。
俳優としてアクションやリベンジモノができることも証明しつつ、監督としての手腕も光る。この後に何を撮るのか楽しみな俳優であり監督になりました。
今回の感想はここまで。
ではまた。
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