「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」(2021)
作品概要
- 原題:Ich bin dein Mensch
- 監督:マリア・シュラーダー
- 脚本:ヤン・ションバーグ、マリア・シュラーダー
- 原作:エマ・ブラスラフスキー
- 製作:リサ・ブルーメンベルク
- 音楽:トビアス・ワグナー
- 撮影:ベネディクト・ノイエンフェルス
- 編集:ハンスヨルク・ヴァイスブリッヒ
- 出演:マレン・エッゲルト、ダン・スティーヴンス、ザンドラ・ヒュラー 他
”あなたを幸せにするための理想の伴侶”をコンセプトにしたアンドロイドと、その機能テストのためにアンドロイドと暮らし始める女性科学者をユーモラスに描くコメディロマンス。
主人公の学者を「ヒトラーを欺いた黄色い星」などのマレン・エッゲルトが演じ、相手役となるアンドロイドには「ザ・ゲスト」や「美女と野獣」などの二枚目俳優ダン・スティーヴンス。
監督はドイツで俳優として活躍し、2020年Netflixシリーズ「アンオーソドックス」の監督も務めるマリア・シュラダー。
アンドロイドとの連来なんて言うので「ブレードランナー」的な哲学のお話し、生命と人工生命のお話しにも思えましたが、予告編を映画館で見たらなんとも軽快でコメディタッチが強く、優しい画面にひかれて観たくなった作品です。
あと、ダン・スティーヴンスって英国俳優なのですが、ドイツ語を流ちょうに話しているのも予告時点で興味がわく要因になりました。
この作品自体は批評面でもかなり好評を得ており、ベルリン国際映画祭では主演のマレン・エッゲルトが性別差のない最優秀主演俳優賞を獲得しています。
実は公開してすぐに観に行こうかと思っていたのですが、予定が合わずに後回しに。
小粒な映画で公開規模も少なく、2週目から上映会も減ってしまい、1月末に何とかレイトショーに駆け込んで鑑賞してきました。
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~あらすじ~
ベルリンで楔形文字の研究チームリーダーとして、熱心に資料研究に打ち込んでいるアルマ。
彼女は所属博物館の紹介からある実験に参加することになる。
そこにはアルマと初対面にも関わらず積極的に誘ってくるハンサムな男性トムが待っていた。
なんと彼は、ドイツ人女性の恋愛データを学習し、さらにアルマの性格データも取り込んだ、”アルマを幸せにすること”を目的とした高性能アンドロイドだった。
実験の期間は3週間。アルマは自分のアパートにこのトムを持って帰り、二人の同棲がスタートする。
といってもアルマは全ドイツ人女性の典型例ではない。トムが持つアルゴリズムがなかなか効果を出さない、ドライな女性。
トムは少しづつアルマに最適化されていくのだが、機械にやり込められるわけはないと、アルマも一筋縄ではいかなかった。
感想/レビュー
設定は漫画とか他のドラマ、映画でも良く見かけるような気もします。
人間とアンドロイドのコンビ。ロボットでもいいでしょう。
この設定自体はオーガニックな人間と、あまりに画一的で正確なアンドロイド側とのチグハグなやり取りやズレにユーモアが感じらます。
今作もその例にもれず、マリア・シュラーダー監督の演出と舞台づくりによってそのユーモアに温かさや柔らかさ、そして心地よい軽快さが加えられています。
軽快でバランスの良いユーモアを主人公と共有
ユーモアに関してはバランスが非常に巧みに設計されており、決して馬鹿笑いするようなこともなく、そもそも愚かしさやスラップスティックさで笑いを誘うことはありません。
異質性に特化した部分でのユーモア。トムは高性能AIですから、そのデータ的な処理も回答も正確で速い。
だからこそ、迷いのなさそのものや人間とはズレた視点に笑ってしまうし驚きます。驚愕ではない意外さ、異常ではなく異質。
それは主人公のアルマを通して観客も共有していくのです。
あくまでトムはこの実験のための初めての製造世代。
だから、街行く人たちもアルマも、このアンドロイドを当然の存在とは思っていません。
人間として認知されていく中で、こちらとアルマだけはアンドロイドと知っている。
だからこそ秘密の共有のようなわくわくもありますし、他の人とトムが接しているときのおかしさもあるんですね。
どの時代にも特定しない世界と軽く優しい画面色彩
こうした軽やかな楽しさを包んでいる画面のトーンは非常に大きな役割を果たしていると感じました。
撮影監督はベネディクト・ノイエンフェルス。
彼が作り出している露出が高くぼんやりと光に包まれたような、やわらかな画面がとても好きです。
「インサイド・ルーウィン・デイビス」とか「her/世界でひとつの彼女」のような感じでしょうか。ただ色彩にも溢れてはいるんです。
日の暖かな光だったり、夜の街に置いても、雨が降っても自然の中でもとても柔らかくのびのびとしている。
最もアルマの精神的に追い込まれたのが、彼女の研究が先を越されてしまったと気づいたシーンですが、あそこではグレーが基調になった寂しい色彩になっていました。
今作はトムという高性能アンドロイドを登場させていながらも、時代性をあまり感じさせないですね。
美術面、衣装面、プロダクションデザインといい統一されています。
普遍的な人間の生、愛に切り込んでいく上では、時代性を取り除いた設計はとてもあっていると感じます。
技術的な進歩やアンドロイドにおける人権、テクノロジーと人間という題材そのものを描いているとは思えません。
むしろその壮大さの中から、シュールな笑いを通して人間について深い洞察をもたらします。
この研究に必要だったのは格別の資質を持つ俳優でありましたが、マレン・エッゲルトとダン・スティーヴンスは類まれであり彼らなくして今作の成功はなかったと思います。
不完全さと完全さ、人間らしさとは何なのかをあぶりだしていくがゆえに必要だったこの二つの要素を、素晴らしい演技で見せてくれています。
不完全で完璧な二人の主演
マレン・エッゲルト演じるアルマは不完全です。
それは例えばキャリアでいえば3年間無駄にしたこと。
先を越されてしまったからこそ言えるのですが、それでも彼女自身自暴自棄になるくらい無意味なことをして時間を過ごしました。
その後のやけ酒もなんとも人間らしいのですが、さらにトムと並ぶことで強調されたのが流産です。
生殖機能についてやけに詰めるシーンがあったのもそういうことか。
元旦那との微妙な関係性などもふくめて、アルマの繊細さも大胆さも、厳格さも混沌をも描いていました。
対するダン・スティーヴンスですが、ちょっと信じられないくらいにすごかった。
彼自身の整った顔立ちからどことない人間離れ感を見て取れるのですが、すごくテキトーなロボットらしさでもなく、かと言って精巧すぎる人間らしさでもなく。
完璧すぎるゆえにアルマに叱られたりしても、それもまた学習として受け入れたり笑いになっています。
所作に関しても正確無比な身体操作。
調査員の面談シーンの、ソファに座る動作一つで感服。
アルマと距離がある点が彼らの心の距離について示唆しますが、トムは一度しっかりと姿勢よく座ります。
直後、”僕たちうまくいっていますよ。”と言わんばかりに、深く腰掛けて足まで組んでしまう。
この見せつけ感。そして姿勢を変える際のあまりに正確な動き。素晴らしい。
モノ扱いだった最初、しかし雨の中待たせてしまったときにアルマは若干トムに同情する。
のちにはトムに対して失礼な上司に喰いかかる。
2人のぎこちない関係性の進展も、素敵なアンサンブルでした。
完全でありながらも子どもをもてないアンドロイドのトムと、一度流産し年齢的にも次の妊娠は難しいアルマ。
アルマにとって、自分に都合よくすべての需要にこたえ自分の延長線上に存在するトムというのは、そのまま生殖的な機能を持たないことまでも強調されてしまうのでしょう。
またアルマの父は認知症であり、いまや現実の認識が非常に難しい。アルマは彼を支えます。
トムとの対比はここにもありますが、人間は進化しつつもまた退化するものです。
不完全でどうも上手くいかない人の生。
トムのような存在がいれば確かに幸せになれるでしょうけれど、その幸せの定義とは何なのでしょうか。
アルマは、そして私は、このアンドロイドとの交流の中でままならなさこそが幸せであると感じました。
画一的な完璧さよりも、不完全で無意味なことすらできる方がむしろ幸福なのかもしれません。
そこには無限の可能性があり、欲望と理想のカオスが存在し。
突き詰めていけばトムもいつかは完全に不完全さをマスターするでしょう。不完全な人間の統計データと欲望を満たそうというのですからね。
暖かで軽やかな足取りで、ユーモアたっぷりに過ごした後。
そこにはなんとも豊かで深い洞察が残されており、思い返せばふと笑みを浮かべながら、トムとの出会いに感謝してしまう、そんな映画体験になりました。
こういう気持ちになれる映画は久しぶりだったかもしれません。
後悔規模が小さいことがとても悔やまれるのですが、もしも機会があればぜひおすすめの一本です。
というところで今回は以上。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた。
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