「パーム・スプリングス」(2020)
- 監督:マックス・バーバコウ
- 脚本:アンディ・シアラ
- 製作:クリス・パーカー、アンディ・サムバーグ、アキヴァ・シェイファー、ディラン・セラーズ、ベッキー・ストヴィター、ヨーマ・タコンヌ
- 製作総指揮:アレックス・ドン、ギャビー・レビリャ・ルゴ
- 音楽:マシュー・コンプトン
- 撮影:クィエン・トラン
- 編集:マシュー・フリードマン、アンドリュー・ディックラー
- 出演:アンディ・サムバーグ、クリスティン・ミリオティ、カミラ・メンデス、タイラー・ホークリン、ピーター・ギャラガー、メレディス・ハグナー 他
結婚式が行われる日を無限ループしてしまうある男女を描くファンタジーコメディ。
監督は今作がデビューとなったマックス・バーバコウ。
主演は「俺たちポップスター」や「ブリグズビーベア」などのアンディ・サムバーグ、主にTVシリーズで活躍しながら「ウルフ・オブ・ウォールストリート」などに出演のクリスティン・ミリオティの2人が努めます。
またループ内に出現し襲撃してくる老人役に「セッション」のJ・K・シモンズを出演しています。
今作はバーバコウ監督デビュー作でありながら、huluが多額の提示により配給権を獲得するという、ある意味でなにかしらの約束をされたような作品です。
映画館でhulu製作作品観るのは初めてだったかも?
北米ではコロナの影響でhuluと一部のドライブインシアターでの同時公開となったようですが、いずれにしても初週のhuluでのアクセス最高記録を達成したようです。
日本公開はやや遅れていましたがそれでも映画館でやってくれることには感謝ですね。
初週末のお昼前、小さな箱でしたがある程度お客さんが入っていて、若い人が多めに来ていました。
2019年11月9日。
カリフォルニア州のパームスプリングスでは結婚式が執り行われる。
花嫁の姉であるサラは実に居心地悪そうにしているが、花嫁の友人の彼氏であるナイルズという男が勝手にスピーチをしその後サラにアプローチしてきた。
はじめはナイルズを突き放していたサラだったが、結局は会場から離れた岩場で二人きりになり、事を始めようとした。しかしその矢先、矢がナイルズに突き刺さる。
ナイルズがロイと呼ぶ謎の男が追いまわし始めたのだ。
サラはけがをしたナイルズが心配で、彼の後を追って不思議な光の漏れ出す洞窟へ進む。そしてナイルズの忠告を無視し、その光に近づいた。
気づくとサラはベッドで目覚める。しかし、何かがおかしい。
みんな結婚式の準備をしているのだ。スマホをみると11月9日。同じ日だ。
サラはナイルズを見つけるなりすべて白状するように問い詰めると、ナイルズはこの11月9日を繰りかえすループの中にとらわれており、サラもそれに巻き込まれたようだというのだった。
バーバコウ監督はあまりに使い古されたタイムループものを扱うことについて、非常にスマートな判断をし、コメディと演出、メインの二人のアンサンブルそして哲学的な要素に絞ったアプローチをとり、どこか新鮮な感覚をもたらすことに成功しています。
タイムループであれば原因、ループする仕組みやループによる繰り返されるおかしさをメインにおいてもいいですが、今作ではあえてそこを口に出して終わらせてしまうキレの良さがありました。
「いわゆるループのものアレ。」早々にナイルズは言い放ちます。
その仕組みの説明には死に方というブラックユーモアで答えて見せ、そしてループすることでのうっとおしさも、ループしてなくてもうっとおしいミスティにより笑いに変え(メレディス・ハグナーのハマり方も良い)、さらにナイルズには逃げ出す気もないので出口も見ない。
ここではそのループ設定から抜け出すことを目的にしないのです。
それよりもむしろ、変化のないように見える、もしくは変化を起こすことのできない今というものを見つめたときに、どうのように生きていくのかを描き出しています。
もちろん今作ではループに二人、複数人が巻き込まれているというギミックがありますが、明日が今日で昨日も今日、今日も今日だとするならば、生きる意味というものが薄らいでいく。
例えば「恋はデジャ・ブ」では自身の行いや行動を正していくこと、そして「オール・ユー・ニード・イズ・キル」はループでの成長と敵の撃破という目的がありました。
しかしナイルズにはない。
大義もないために努力もしませんし、しても結局はリセットされます。
確かに不死に近いものを得ていても、人生を歩むことはできないわけです。
ナイルズはすべてを無意味に感じています。ある意味で悟っている。
それはまさになんの進展もないままにただ時を過ごしているという苦痛、不安、退屈さを感じている現代人そのものです。
変わり映えしない毎日がそのまま変わらない毎日に投影されています。
ナイルズを演じるアンディ・サムバーグのハマり方もこのコメディとディストピアに良いバランスをくれていると思います。
ものすごく悲惨な状況ではあるんですが、彼の軽さのおかげで笑うこともできますし、しかしただどうでもいい人物に成り下がることはなく、しっかりとナイルズ自身の不安を後から感じ取ることもできます。
そしてアンサンブルが成功するのはクリスティン・ミリオティの力もあります。単純にこの二人がスクリーン上で非常に相性がいいんですよ。
個人的にはギャグと繊細さを両方演じられる部分が、素晴らしいと思います。
笑えるのですが、真摯な態度もとる映画です。
そこでクリスティンの良さも見えますね。
心ここにあらずだったOPすぐの挙式での顔、また父の「部屋に起こしに行ったのにいなかった」、シャワーの音を聞いてすぐに部屋をでる。
後追いではありますがサラの行動のそこかしこに散らばった欠片を拾うことで彼女の事情が分かっていく。
彼女がある意味必死にループらから逃げ出そうとするのも、この日は必ず彼女にとって後悔と恥で始まるからかと思います。
伏線回収を狙ったわけではなく、しかし観客自身が気づいていける種まきは、アンディ・シアラによるスキのない脚本のおかげですね。
ナイルズ側の「年かな」発言もなるほどの意味を見つけながら、個人的には彼の視点が新鮮でした。
意味のない無限を生きるということ。
今回は別に殺人鬼に毎回殺されるわけでもないし、嫌な一日ではないんです。
カリフォルニア州の暖かな気候の中で、結婚式という浮かれた場所でビールを飲みながら過ごす毎日。
何をしてもリセットできるし死を超越する。
ある意味で安全地帯です。好条件なので、ナイルズの思うところもわかる気がします。
それはサラとこのループ内でただ楽しく過ごすこと。
結果がついてまわらないことからナイルズはいろいろと試しましたが、あることはサラに隠していました。
同じループに入った彼女の存在は、ここで”結果”を生み出したわけです。
彼にとっては久々に行動に結果が伴ったわけで、及び腰になるのも当然です。
それらのリスクの少ないループにとどまったほうが楽に思えるのもうなずけます。
ただ、ここで重要になってくるのは今作のループ点が結婚式の日であること。
結婚式ではみんなの前、社会的な目線で”これから”を二人が誓うわけですね。
つまり二人は”ここまで”を共有し、そのうえで”今”、”これから”を共に過ごすことを誓う。
そこには失敗があったり、非常に残酷な後悔、結果が待ち構えているかもしれません。それでも、未知数のこの先を一緒に過ごしたい相手がいる。
ナイルズはサラがループに入ってから、明日の概念を得ます。
次のループではサラと何をして過ごそうかと楽しみにしていたわけです。
この先を一緒に体験したいという想いが、何をしても意味のなさそうな日常に意味をくれた。
だからこそ最後は本当の意味でリスクのある世界で一緒に過ごすと決めたのです。
生きるということはなんとなく無意味に思えます。
ただ繰り返していく毎日。学校に行こうが仕事をしようが、起きて食って寝ての繰り返しループの積み重ね。
ただバーバコウ監督はたっぷりのユーモアと素敵なアンサンブルから、生きるということに意味と目的を感じさせてくれました。
自分で体験したいということ、そして誰かとこの先を経験していくこと。
かなり笑えて、それでいながら清々しい空気をけだるい毎日の中に吹かせてくれる、素敵な作品でした。
コロナ禍の息詰まりに対するユルいガス抜きとしてもいい感じなのでぜひ劇場へ。
今回の感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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