「クワイエット・プレイス:DAY 1」(2024)
作品解説
- 監督:マイケル・サルノスキ
- 製作:マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッド・フラー、ジョン・クラシンスキー
- 製作総指揮:アリソン・シーガー、ビッキー・ディー・ロック
- キャラクター創造:ブライアン・ウッズ、スコット・ベック
- 原案:ジョン・クラシンスキー、マイケル・サルノスキ
- 脚本:マイケル・サルノスキ
- 出演:ルピタ・ニョンゴ、ジョセフ・クイン、アレックス・ウルフ、ジャイモン・フンスー 他
音をたてると何かに襲われ殺されるというサバイバルホラー「クワイエット・プレイス」シリーズの第3作。
これまでの田舎の町が舞台だった前2作とは異なり、今回は大都会ニューヨークが舞台となり、“何か”が地球に襲来した最初の日を描くため、今作は前日譚という扱いになります。
前2作で監督や脚本を務めたジョン・クラシンスキーが今作では製作と脚本を担当。
「PIG/ピッグ」のマイケル・サルノスキがメガホンを取り、「ブラックパンサー」や「それでも夜は明ける」などのルピタ・ニョンゴが主人公を演じます。
サミラと行動を共にするエリック役には「ストレンジャー・シングス 未知の世界」のジョセフ・クイン。また「ヘレディタリー 継承」などのアレックス・ウルフも出演。
シリーズは2作品とも映画館へ観に行きましたし、かなり好きな映画ですが、今作はあの家族が主人公というわけでもなくて、前日譚としてエイリアン襲来の日を描くということで、ちょっと興味は薄め。なにせパート2の時点で襲来の日は冒頭の回想シーンで描かれていますしね。
でも監督が「PIGピッグ」のマイケル・サルノスキというのはまあ来たいですね。珍しく仕事終わりに公開日で観てきました。ミッドタウン日比谷。かなり混んでましたが別の映画だったようで、今作自体はそこそこな入りでしたね。
~あらすじ~
飼い猫のフロドと共に暮らすサミラ。彼女はがんを患っており、ホスピスでただ死を待つような生活に嫌気がさし、荒んでいた。フィールドトリップで久しぶりにニューヨークを訪れたサミラは、マンハッタンのあるピザ屋にどうしても行きたいと固執していた。
その時突如として多数の隕石が空から降り注ぎ、街は一瞬で混乱と恐怖に包まれる。そして、隕石とともに襲来した凶暴な“何か”が人々を無差別に襲い始めた。
物音に反応し襲い掛かるそれを回避し、サミラは避難している人々と合流するも、怪物たちを隔離するためか空軍がマンハッタンから出るための橋をすべて爆破。完全に孤立してしまった。
マンハッタンの南に救助船が来ることを放送で伝えるヘリが通ると、人々は避難のため命がけで移動を始める。しかし、多くの人間の移動は怪物を刺激し、凄惨な殺戮が起きてしまった。
生き延びたサミラは同じく取り残された青年エリックと行動するが、向かうのは南の救助船ではなく、どうしても行きたいというピザ屋だった。
感想レビュー/考察
スケールは大きくなっても、身近で触れやすいドラマにフォーカス
正直不安が大きかった作品でした。ジョン・クラシンスキー監督による前2作は非常に革新的でイマーシブ。ホラーとしても良いものでしたが同時に家族の物語としてとても好きでした。
あの家族が主軸から外れてしまうために、スピンオフ?のような位置なのだろうと思います。ただそれ以上に舞台が大型化することが不安要素。
田舎町や家の周辺ではなくて、大都会NYC、マンハッタンで展開するために、何もかも大盛り大味になってしまわないかと心配でした。
規模が大きくなるほど、ドラマが薄まり怪物は数が多いだけで脅威には感じず、ジャンプスケア以外にはスリリングな演出ができなくなることが多いです。
しかしマイケル・サルノスキ監督と脚本のジョン・クラシンスキーは大都市を舞台にしながらも小規模な二人組と人生そのものを舞台に選ぶことで、この難点を克服していると感じました。
大都会でのパニック映画要素はあれど、この作品は生きると決めた日、その一日目を描いています。
ルピタ・ニョンゴの表情演技が炸裂
主人公を演じるのはルピタ・ニョンゴ。
「それでも夜は明ける」で素晴らしい演技を見せてから、「ブラックパンサー」へ、そしてホラー畑では「Us アス」で逃げ惑うヒロインと追いかける怪物側と両方を演じてみせましたという
今作では彼女の演技による貢献が大きく感じます。音を立ててはいけない。だから話すことも少ない。セリフがあまりに限られている中で、表情や目で演技をしていくということです。
彼女の表現の中で、恐れとかよりも私は怒りが印象に残りました。
世界の終わりだからこそ、生きることを意識する
サミラは末期のがん患者で、ホスピスで余命をカウントダウンしながら過ごしている。
もともとは有名な詩人だったようですが、彼女の生きる糧である詩にすらも、”クソ”をまみれさせるほど人生がクソ。
できないこと、行けないこと、そして全身の痛みに絶え間なく苦しみながら、人生に怒りを抱えて生きている。
「なんなんだよ。」そんないらだちを眼差しにたたえる表情が記憶に残ります。
そんな彼女が再び生きることを決意していくドラマなのです。
途中で出会う青年エリックもサミラに出会い、互いに影響し合っていく人間模様が楽しめます。
どう生きるか、どう死ぬか
サミラは怒り、生きることに意味を見出していない。彼女には生きることよりも、どうやって死ぬのかが重要になっています。
彼女にとってピザというのは、愛していた父との美しく大切な思い出なのです。だからこそこのマンハッタンからの脱出をゴールにしていない。
そしてそんなサミラに出会って、エリックは自分の人生を見つめる。イギリスから法律を学びにアメリカに来ている彼は、この世界の終わりに理不尽に直面しています。
理不尽な世界の終わり、ここにはいろいろなものが重ねられているような気もしました。
現実でいえば、新型コロナウイルスのパンデミックが思い出されます。あの当時。
急に世界が変わってしまい、未知の恐怖に全人類が向き合わなくてはいけなくなり、会いたい人にも会えずいきたいところにも行けない。
これで終わり?ふざけるな
作中ではエイリアンの襲来によって、自由な行動も声を出すことも許されなくなっています。サミラは唯一彼女が死を前に求めていた父との想い出の訪問を阻まれる。
そしてエリックは両親を離れて学業を修めていくこれから、彼の将来のキャリアを急に閉ざされる。
もうこれで世界は終わり。マンハッタンも、ニューヨークも、日々の生活も人との出会いも交流も遊びも仕事も、未来も人生も。これで終わり。
そんな理不尽な終末。しかしそれに、はいそうですかなんて言えない。
雷鳴の中、二人の雄たけびがとてもいいなと思いました。ふざけんなってことですよ。そう簡単に何もかも終了にされてたまるかってこと。
個人的にはこのドラマ部分に乗れたので概ね良かった作品です。
そもそも怪物だけが共通点としてシリーズを作ってしまったので、家族の話ではないことでシリーズが定まってしまった気もしますが、まあ安っぽいSFエイリアン映画ではないのでいいか。
あとホラーとしては新鮮さ、強さが足りなくなってしまったのは厳しいところ。沈黙の世界や聴覚の発達したエイリアンはフレッシュじゃなくなりますから。
1作目を観たときのような強さがないのはシリーズゆえネタばらしされている部分が多いのでそれも仕方ないかも。
ホラー映画としては微妙なラインですが、世界が一変した状況で選択を重ねる人間ドラマでは楽しめました。
まだシリーズが続くのか、あの一家のその後のチャプターは広がるのか。気になるところもあるシリーズなので見守っていきたいです。
今回の感想はここまで。ではまた。
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