「僕たちは希望という名の列車に乗った」(2018)
- 監督:ラース・クラウメ
- 脚本:ラース・クラウメ
- 原作:ディートリッヒ・ガルスカ
- 製作:ミリアム・デッセル、ズザンネ・フライヤー、イザベル・フント、トーマス・クフス、カッレ・フリッツ
- 製作総指揮:トーマス・ブレトシュナイダー、フランク・ヘッヒラー、カロリーネ・フォン・デンゼン
- 音楽:クリストフ・カイザー
- 撮影:イェンス・ハラント
- 編集:バーバラ・ギス
- 出演:レオナルド・シャイヒャー、トム・グラメンツ、レナ・クレンケ、イシャイア・ミヒャルスキ、ヨナス・ダスラー、ロナルト・ツェアフェルト、フロリアン・ルーカス、ブルクハルト・クラウスナー 他
「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ監督による最新作。
東西分断されたドイツで、ハンガリー民主に対し黙祷を捧げた学生たちが、反体制として追求された事件を基にしています。
原作として当事者の一人による本が使用されているようです。
この事件に関しては映画を知るまで知識はなく、どちらかといえばクラウメ監督の新作だから観てみようかというくらいでした。
ちなみにタイトルは「静かな教室」という意味だそうです。
なんだかんだで行くのが遅くなって、公開も終わるかもしれないので駆け込み。有楽町HTCでしたけど、満席でした。
1956年の東ドイツ。
大学進学コースの進学校の生徒であるテオとクルトは、遊びにいった西ドイツで、ハンガリー民主蜂起のニュースを見る。
二人は自由のため戦う一般市民と彼らの犠牲に敬意を示すため、授業中に2分間の黙祷を捧げることにした。
しかし、その行為は思いもよらぬ波紋を呼び、教育大臣まで巻き込んでの反体制取り締まりに発展してしまう。
首謀者をあげること。
それは仲間を裏切ることであるが、隠せば皆退学処分となり厳しい労働者階級の人生が待っている。
友情や家族そして信じることの間で、彼らは揺れ動く。
前に観た監督の過去作である「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」から一貫して、クラウメ監督はドイツの歴史のなかでも戦後の影響が色濃い時代を舞台にしました。
そして今作は、主人公は学生たちでありながら、再び親の世代を登場させることにより、戦後ドイツにおける2つの世代を描きます。
戦争中を生きた、罪を背負った世代。その子供たちである新しい、戦争やナチスから距離を持った世代です。
学生の群像劇として各キャラクターたちに魅力やドラマがしっかりと用意され、友情や恋愛も少し含みつつジレンマを生んでいます。
ただ同時に、親や家族との関係性をいれることで、今作のドラマは非常に複雑かつ痛みと愛を持っていると思います。
友人のため、親のため、選択をしなくてはいけないのです。
しかし自分がどう動いても、友人か家族か、または友人の家族を傷つけることになってしまう。
多くの人物出てきますが、圧政者側は必要以上に描かず、常に学生と親たちにフォーカスしていて見失うこともありません。
今回の状況、体制を作り上げた世代はテオやクルトの親世代です。
そして親たちは、戦時の罪や痛みをひた隠しにして生きています。それはエリックの父ようにあまりに残酷な真実から、子供を守るためでもあり、単純に卑怯とは言えません。知らずに幸せになってくれたら、どんなに良いでしょうか。
しみついた罪や過去のナチスの影が今なお苦しめている。そんな真実だったら嘘でもいいから子供には平穏に過ごして欲しいと願いますよね。
私は今作で悪い親は1人も出てこなかったと思います。しいて言えば、エリックの母の言うように、弱かっただけです。でもそれは罪ではない。
テオの父は信念に従うことの結果や、労働者階級を体に教え込みます。
クルトの父も、母に対して冷徹かつ抑圧的な態度をとってまで息子の信念を曲げ、従わせようとします。
たしかに学生たちに寄り添えば、とても腹立たしいのですが、だんだんと明らかになる真実は親たちを責めるのではなく、彼らが背負うものの重さを教えてくれます。
経験した世代だからこそ、下の世代に何ができるのか。
テオやクルトの視点でも、そして親たちの視点でも、クラウメ監督は自由を求める人に何をすべきかを語っていると思います。
外国で自由のため立ち上がる人を見て、自分には何ができるのでしょう。ここは最近の香港を見てなんともタイムリーに感じます。
そして、自由と権利を主張する人にどうすべきかは、父や母が見せてくれます。
深い愛情を持って、次の世代にとって何が大切なのか考えなければいけません。若者たちの苦難だけではなくて、その上の世代として何をしたらいいか考えさせられる作品でした。
本当に公開から1か月くらいたってて、終わってしまうかと思っていたのですが、ギリギリ観ることができてよかった作品。
今回は感想はこれにておしまい。最後まで読んでいただきありがとうございます。また次の記事で。それでは。
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