「タルーラ 彼女たちの事情」(2016)
作品概要
- 監督:シアン・ヘダー
- 脚本:シアン・ヘダー
- 製作:ヘザー・レイ、クリス・コロンバス、トッド・トレイナ、ラッセル・レヴィン
- 製作総指揮:エリオット・ペイジ、デヴィッド・ニューサム、エレノア・コロンバス、マーク・バートン、クリス・リットン
- 音楽:マイケル・ブルック
- 撮影:パウラ・ウイドブロ
- 編集:ダーリン・ナヴァロ
- 出演:エリオット・ペイジ、アリソン・ジャネイ、タミー・ブランチャード、エヴァン・ジョニカイト 他
TVシリーズ「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック 塀の中の彼女たち」の脚本を手掛け、短編映画を撮ってきたシアン・ヘダー監督の長編デビュー作となる作品。
身寄りのない女性と彼女が拾った赤ちゃん、離婚の危機を迎える女性と赤ちゃんの母親をめぐり展開するドラマ。
主演を務めるのは「ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気」などのエリオット・ペイジ(作品にてはエレン・ペイジですが、現時点でトランスジェンダーを公表しているためこちらの表記)。
また彼女に家に転がり込まれるのは「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」で脅威的母親役が印象強いアリソン・ジャネイ。
いなくなった赤ちゃんの母親役はタミー・ブランチャードが演じています。
今作はもともと、監督がショートフィルムとしてとっていた2006年の作品「Mother」のスピンオフのような立ち位置で、当時から今作の脚本自体は存在していたそうです。
作品はサンダンス映画祭にてプレミア上映され、そこでNETFLIXが配給権を獲得したことで、劇場ではなく配信による公開になりました。
確か2016年にLAに行った際、映画館で予告を見た気がします。
ネットフリックス配信なので映画館で予告やってるのも変な気がしますが、そこ以外で観ていないので確かだと思いますね。
当時もおもしろそうと思ったら、配信サービス限定映画と知ってちょっと残念だった記憶があります。
~あらすじ~
一台のトラックに住み、その日暮らしをしながらアメリカを旅しているタルーラ(ルー)とニコ。
しかしある晩、ニコはいい加減この生活に疲れ、NYCにある実家に帰ると言い出し、今のまま二人で一緒にいたいルーと喧嘩になってしまった。
そして翌朝ルーが目覚めると、お金もニコも消えていたのだ。行く当てもないルーはニコを探すことも考えて、NYCに向かう。
そこでニコの実家を訪ねるのだが、彼は戻っておらず、ニコが家をでた理由でもあるルーを嫌っているニコの母マーゴしかいなかった。
ルーは付近をたださまよい、ホテルの中で食事や金目の物を盗もうとしていたが、そこでベビーシッターと勘違いされて部屋に招かれる。
そのキャロラインという女性は小さな子供マディの面倒を見てくれと頼み、自分は不倫相手の元へと遊びに出かけてしまう。
モノを盗んで早くその場から去ろうと考えるルーだったが、マディを一人にできずその日は世話をすることにした。
キャロラインは夜遅くに泥酔して戻りそのまま寝てしまい、ルーはマディを抱えて夜を徘徊した。
次の朝にホテルに戻ろうとすると、マディを誘拐されたと勘違いしたキャロラインによって警察が呼ばれており、ルーは戻れなくなってしまう。
そこで唯一の頼みとして、ルーはマディを連れてマーゴの家に転がり込むのだった。
感想/レビュー
社会的ではなく個人的な視点から見えるもの
監督自身が実際にベビーシッターを経験したところから着想を得ている今作。
そこでは子どもの世話をしない母親のもとに小さな子を置いてくるしかなかったとのことですが、だからと言って今作は決してその育児をしない母親や女性に対する批判にはなっていません。
ヘダー監督はその経験からもっと奥深く幅広い物語を展開しています。
今作はベースにこそ誘拐事件とその捜査という面が、少なくとも映画内の社会的にはあるのですが、そのスリリングな要素は関係当事者たちのそれぞれの人生や奇妙ともいえる利害一致によりより超越した物語を見せています。
最後にどうなるかという点では、まあそうなるよねというところです。
それは現実に置いてのものと同じです。
ただしヘダー監督はその現実にはニュースで表面上見聞きするしかない事柄に対して、私たち観るものにその裏側やタイトルのような”事情”に触れさせてくれます。
主演としてはエリオット・ペイジ演じるルー、そしてアリソン・ジャネイが演じるマーゴの二人の女性です。
お互いに敵同士ともいえる最悪な関係ながらも、一時的にでも同居せざるを得ない状況になり、どんどんと距離を縮めていくという、よくみられるプロットでしょう。
それだけでもやはり心温まるものがありますし、それぞれの演技の力によるドラマ性は見事です。
ここだけでも普通にいい映画。
しかし、タミー・ブランチャードが演じたキャロラインの存在もまた、今作には欠かせないと自分は思うのです。
彼女も含めて、ある意味男性によって振り回される女性、社会的な立場を失った女性3人が、今回の誘拐事件という要素によってほんの短い間でもそれぞれに欠如したものを埋め合うという話に思えます。
3人の女性が回転した歯車で得た一時の癒し
ルーは人との深いかかわりに恐れを抱いています。だからこそトラックでアメリカ中を転々としていたのでしょう。
それでもニコという存在は欲しているので、落ち着くことは難しいというのと旅路を共にする人が欲しいつまり孤独に対する恐怖も持っていると受け取れます。
彼女はマディの世話をすることでその孤独を癒やしたのでしょうか。
そしてマーゴは彼女自身の人生を失っている存在です。突然の夫のカミングアウトと新しい人生。
「リリーのすべて」でも描かれたような、誰かが自分自身の人生を得ようとする際に、他の人の人生が失われていく。
裕福層に見えても、マーゴは何も所有していない。彼女の人生は今存在しないのです。
そこに少なからず目的をくれたのが、ルーとマディでしょう。
そして人生を持っていないという点では、キャロラインも同じに思えます。
夫によって定義され夫によって価値を決められていた。女としての価値。子どもを持てばまた意味を見出されると思っていた。
不倫というのも、キャロラインを個人として欲してくれる人を探していたように感じます。
マディが正直に言って重荷になっていた彼女にとって、今回の誘拐事件は一時の癒やしだったかもしれません。
この不思議な関係性は当事者たちだけに共有され、彼女たちを取り巻く社会としてはただの誘拐事件。
男性によって狂わされた3人の女性と人生、癒やしはベールに包まれている。
シアン・ヘダー監督はその内側へと観客を案内してくれるということです。
ファンタジックな映像が呼応しながら見える変化
さらに監督はそこに映像だからこそのファンタジックな要素も取り入れています。
ルーの中で何度も見えてくるのは、過去とも現在とも取れる錯綜した現実と、底しれぬ不安のような空中浮遊や深い海への突入です。
足場の無さが共通していますね。
危機的な状況における心理を映像に映し出したものですが、逆に安心した平穏は、ベッドに寝転んだり公園で座っていたり。
十分に映画的でもある。
そして避けられない現実を迎えたあとに、今度はマーゴにもルーのような空中浮遊が起こりますが、こちらは不安もあれどむしろ飛翔に近いような。
枝を掴むことによる差別化があって、沈んでいた彼女の人生が、ふとまた軽やかさを取り戻したような明るさと希望がありました。
シアン・ヘダー監督は3人の女性たちの人生のあり方と一時の変容からフェミニズムとも取れそうな作品を完成しています。
やはり根幹にあるのは深い洞察とそれを表現する俳優たち。
見聞きすること以上のものが観え、そしてその奥を感じ取らせてくれる非常に丁寧で秀逸な作品でした。
今回の感想はこのくらいです。ある程度仕方がないですが、配信作も映画館で見れたらと思いますね。やはり印象が異なって来ますので。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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