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「Coda コーダ あいのうた」”CODA”(2021)

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「Coda コーダ あいのうた」(2021)

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作品概要

  • 監督:シアン・ヘダー
  • 脚本:シアン・ヘダー
  • 原作:『エール!』、ヴィクトリア・ベドス、トマ・ビデガン、スタニスラス・キャレ・ドゥ・マルベリ、エリック・ラルティゴ
  • 製作:ファブリス・ジャンフェルミ、フィリップ・ルスレ、ジェローム・セドゥ、パトリック・ワックスバーガー
  • 製作総指揮:サラ・ボルチ=ヤコブセン、アルダヴァン・サファエ
  • 音楽:マリウス・デ・ヴリーズ
  • 撮影:パウラ・ウイドブロ
  • 編集:ジェロード・ブリッソン
  • 出演:エミリア・ジョーンズ、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、マーリー・マトリン、トロイ・コッツァー、エウヘニオ・デルベス 他

アカデミー賞の前哨戦ともされるようなサンダンス映画祭にて史上最多の4冠に輝いた、聾啞者の家族の物語。

たった一人だけ健聴者である娘を主人公に、彼女の歌うことの夢と家族を支える役目のジレンマを、コメディトーンを交えて描き出します。

監督は「タルーラ 〜彼女たちの事情〜」のシアン・ヘダー。

TVシリーズ「ロック&キー」でブレイクのエミリア・ジョーンズが家族の中一人だけの健聴者を演じ、聾唖者の家族は実際に耳の聞こえない俳優をキャスティング。

アカデミー賞受賞歴もあるマーリー・マトリン、今作の演技を絶賛されゴッサム賞受賞のほかさまざまな賞にノミネートしているトロイ・コッツァー、そしてダニエル・デュラントが家族を演じています。

また、主人公ルビーが思いを寄せる合唱部のメンバーは「シング・ストリート 未来へのうた」の主役フェルディア・ウォルシュ=ピーロ。

あらすじを聞いて「あれ?」と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、この作品はもともとはフランスのエリック・ラルティゴ監督による2015年の「エール!」のハリウッドリメイク作品になります。

はじめはAppleTVでのみの配信作品になる予定でしたが、日本は貴重な劇場公開の機会に恵まれました。

もともと評価が高いことは知っていたのですが、ハリウッドリメイクには一抹の不安を残すために前売りなどチェックせず。

結局公開日の絶賛を聞いて、次の土曜日に地元で鑑賞してきました。

ちなみにタイトルのコーダ(Coda)とは、”Children of Deaf Adults”=”聾唖者の子ども(特に健聴者)”の略称であり、主人公ルビーを指しています。

「Coda コーダ あいのうた」公式サイトはこちら

~あらすじ~

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歌うことが好きなルビー。

毎日朝早くから家業である漁業を手伝い、学校では居眠りがち。

彼女は学校の部活選択で合唱部を選び、そこで歌の才能を見出され、コンサートに向けて先生とレッスンを始めることになる。

ルビーの声には力があり、先生は練習を積めば音楽大学への推薦も考えているという。

しかし、ルビーの音楽への夢は家族にはあまり理解できない。ルビー以外の一家全員が聾唖者なのだ。

家族にとって、健聴者であるルビーは通訳もかね頼りになる存在。

ルビーは大切な家族での自分の役割と自分自身の夢の間に苦悩する。

感想/レビュー

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やや気になる点があれど、それを覆い覆す美しさを湛える映画

大本にしている原作「エール!」をきれいにリメイクして見せていると思います。

ハリウッドリメイクは過剰さや派手さなどでリメイク元を潰す傾向があると勝手に思っていますが、今作はその点成功した作品。

もちろん難点はあるとは思いますが、加点されるべき要素が大変素晴らしいのでそれを打ち消してくれますね。

正直この手の映画には付き物なので気にし始めたら終わりですが、たしかに脚本は都合がいいのかもしれません。

選択をテーマにする以上はある程度環境設定や人物の役割に関しては都合が良くても仕方ない。

またフィール・グッドムービーなのでそれも。

ただ、シアン・ヘダー監督は感動ポルノになるような安直さは入れていないと感じますが。

もしも一番の難点を上げるとすれば、前提にあるテーマについてでしょうか。

ルビーの歌について、音楽について、声について、家族は耳が聴こえないから理解ができない。

ひいては、音楽という芸術・娯楽について健聴者と同様に楽しむことができない。

この設定については(父がビートの効いたヒップホップが好きな点でフォローが入りますが)やや決めつけ過ぎな気もします。

でみそれぐらいでしょうかね。あとは美しい映画です。

唯一無二なエミリア・ジョーンズ

今作を成功させた一番の要素ははっきりいうと主演のエミリア・ジョーンズです。彼女が唯一無二なのです。

彼女が大声で歌っていても、父も兄も全く無反応なことから、ルビーは健聴者であり家族は聾唖者であるとすっと導入してしまう、キレキレのOPの語り口。

そこでの船の騒音が取り払われた、ルビーにとっての個人的パワースポットであろう湖で歌うシーン。

美しい歌声で素晴らしいと思えば、ボリュームをぐっと引き上げた瞬間、まるで力強さに全身を掴まれ揺さぶられたような衝撃を受けました。

単純に歌声がすごいだけでなく、彼女は手話をマスターしなければならない。

そこにある努力には感心しますが、エミリア・ジョーンズは周囲よりもやや大人びているのが何より気に入りました。

大人びるといっても、ませているという意味ではなく、大人特有の疲れをティーンなのに感じさせてくれるのです。

ルビーは子どものころから、親たちの通訳として役目をはたしている。だからこそ、他の子どもよりも大人の世界に浸っているわけですね。

そうなれば、世の中に擦れるのも早いというわけです。

エミリア・ジョーンズは元気いっぱいのティーンではなく、聾唖の両親をもつ健聴者の娘(CODA)としての実在感を出します。

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普遍的な物語として繋がれる

聾唖者の家族に一人だけの健聴者。

その設定は特殊であり、1つの自分とはかけ離れたケースだと見えるかもしれません。

しかしこれをシアン・ヘダー監督は誰しもがアクセスできる青春のピースに仕上げています。

ティーンとして、成長していく過程にあるのは親という領域から出ることです。それは物理的にというよりは心理・文化的にです。

ルビーはずっと健聴者として通訳を行い家族の中にパートを持って生きてきました。

それが逆に、家族抜きでの行動を全然したことが無いという状況を作り出すわけですが、これはルビーだけのことではないですね。

誰だってそれまでは父や母と一緒にしていたことを、完全に独りでしなくてはいけない瞬間が来るものです。

いつかは離れ、一人の人間として歩き始めることは、やはり不安もあります。そして親からしても子どもを失ってしまうようで怖いのです。

さらにここで機能するのが、両親と兄は聾啞者、ルビーは健聴者という設定です。

家族は常にASL(アメリカ手話)という言葉を使用するのに対し、ルビーはそれを理解しつつもやはり音楽や歌という言語を使う。

だからこそ、文字通り使う言葉が違うという事象から、よりこの親子間の隔絶が強く感じられるのです。

ここにくるとエミリアだけでなく、やはりこの聾唖者である俳優たちの輝きがすさまじいレベルに。

私は特にトロイ・コッツァー演じる兄貴にやられましたね。何かと妹に頼る両親を見ているせいで、自分の無力さを感じて悔しい。

自分がもっと何かできれば、ルビーが夢をあきらめずに済むのに。

ほんと、「シング・ストリート」のジャック・レイナーガ演じた兄貴から久々にベスト兄貴賞確実な兄貴に惚れそう。

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隔絶を観客に伝える

そんな兄がパブに行くシーンに象徴されるのが、聾唖者としての周囲の世界との隔絶。

皆と飲みに行っても、何も聞こえない。笑っている様子をうかがっては、愛想笑いを浮かべるしかない。

疎外感。

それがゆえに漁業組合の改革においても、船舶の同席調査員についても、社会的な不意益を被るような事象について待った認知できないのです。

だからこそ家族だから一緒にいたいとかいう程度ではないレベルで、ルビーが必要とされる。

的確な、そして挑戦的な演出

特に今作が歴史的選択をするのがルビーのコンサート。普通の映画であればあそこでフィナーレ的な盛り上がりを見せるシーンです。

もちろん使用される楽曲のルビーの現状へのマッチ具合なども素晴らしかったですが、ふと完全に聾唖者のための映画に変貌する。

これはまったく外部世界を遮断した劇場ならではの仕組みになっているので、是非とも劇場で鑑賞してほしい理由の一つですね。

観客ももちろん、ずっとずっとルビーの晴れ舞台を見たかったはず。そこであの演出ですよ。

大事な娘の本当に大切な瞬間を、ああいう風に過ごすことになる辛さ。

母が心配していた「歌が下手かもしれない」は、そのときルビーがからかわれても、守ってあげられないから怖いんですよね。

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ついに父が”You’re All I Need To Get By”を、ルビーの声を感じるとき。

最後の”Both Sides Now”はまさに聾唖者と健聴者両面の世界を生きているルビーだからこそ最後に響く歌ですが、ここでのエミリア・ジョーンズには圧倒されます。

美しくパワフルな歌声ながらも同時に手話を通し家族に歌を聴かせる。感動のフィナーレ。

同時に二つの言語を操る彼女は本当に素晴らしく、ここが一番劇場ですすり泣く声が聞こえたところ。

脚本上「エール!」から農場は海に帰られ、バッと開けた大海原に出る漁のシーンはそのくっきりとした鮮明さや美しい海をとらえる撮影に圧倒されつつ、まさに航海の旅に出るような意味も取れます。

また弟が兄になっているのも、先駆者でありまた妹に対するコンプレックスというドラマ性もうまく機能する結果になっています。

映画というメディアを通して完成する両面性

何にしても映画というメディアが炸裂しているのが私は好き。

映画とは言語です。映像言語。そこには画と音がある。

画をみることで私たちはその心情を、たとえ自分たちとは遠い出来事や全く異なる属性の人間のことでも理解し共鳴できるわけです。

それは現実には現れることのない手話に対する字幕情報でもあります。

また音というのは音楽だけではない。今作は意図的に音楽が排除されていたり、抑えられるシーンがあります。

そこに聞こえてくるのは、聾唖者の人々の手話の音。アクションの音です。また無音というのも音楽なのですよね。

彼らの音、彼らの表情を見て、つながる。ここに観客もルビーの物語を通して両面性を手に入れることができるということ。

これこそがまさに映画的なつながりと楽しさ、そして素晴らしさだと改めて思います。

確かにフィールグッド・ムービーです。でもタイトル通りCODAの視点から二つの世界を届けてくれたことに感謝したい作品でした。

本当に、演出面でも映画館鑑賞向けなので、是非やっているうちに劇場へ。

今回の感想はこのくらいになります。

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。

ではまた。

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