「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」(2019)
作品概要
- 監督:ジョー・タルボット
- 脚本:ジョー・タルボット、ジミー・フェイルズ、ロブ・リチャート
- 原案:ジョー・タルボット、ジミー・フェイルズ
- 製作:デデ・ガードナー、ジェレミー・クレイナー、カリア・ニール、クリスティーナ・オー、ジョー・タルボット
- 製作総指揮:ブラッド・ピット、キンバリー・パーカー
- 音楽:エミール・モセリ
- 撮影:アダム・ニューポート=ベラ
- 編集:デヴィッド・マークス
- 出演:ジミー・フェイルズ、ジョナサン・メジャース、ダニー・グローヴァー、ロブ・モーガン、フィン・ウィットロック、ティシーナ・アーノルド、マイク・エップス 他
ジョー・タルボット監督デビュー作。サンフランシスコで、ある一軒家をなんとか手に入れようと奮闘する二人の青年を描いたドラマ映画です。
今作の脚本も執筆しているジミー・フェイルズ、そして「荒野の誓い」などのジョナサン・メジャースが親友コンビを演じます。
その他ダニー・グローヴァー、フィン・ウィットロック、マイク・エップスなどが出演。
サンダンスでの人気ぶりから批評家の高い評価も得た今作は、様々なインディ系の映画祭でノミネート・受賞を果たしました。
日本での公開は1年近く遅れてとなりましたが、スルーされなかっただけ良かったです。
しかし、公開週末は台風も近かったためか、あまり人は入っていませんでした。
~あらすじ~
サンフランシスコの港エリアで、ジミーと彼の親友モントは都市部を抜け、ある一軒家へ向かう。
それはフィルモア地区にある古い様式の立派な家で、ジミーの祖父が自らの手で建てたもので、ジミーは幼少期をこの家で過ごしたのだった。
今は別の夫婦が住んでおり、ジミーがたびたびやってきては、勝手に剥げた塗装を塗り直したりすることに腹を立てている。
そんなあるとき、なんとその夫婦が遺産相続問題でその家から出ていった。
今がチャンスとばかりに、ジミーとモントはその邸宅に移り住み、ジミーの幼いころの思い出の家具などを持ち込んで住み始めた。
感想/レビュー
A24の制作ではありますが、どちらかというとプランBの噛んでいるところが個人的にはツボ。
ブラッド・ピットの制作会社ですが、こんな小さなそしてとても珍妙なトーンを持つ作品に力を貸すその姿勢はとても興味深いです。
「それでも夜は明ける」(2013)から「ムーンライト」(2016)、いろいろと黒人とその歴史を主軸とした映画を製作しています。
今作はその独特なトーンが非常にユニークです。
OPすぐの演説やその前で横にずっと歩いていくショット、見つめるジミーとモントや彼らの会話の切り方など、不思議なリズムを持っています。
ひょっとするとコメディのような間を空けたこの作品の流れは、とても穏やかでありながら不意な部分もあり惹きつけられてしまいます。
エミール・モセリの楽曲の助けもあって、なんだか和香ながらトリップ感覚。
この点は、実際に映像を通して感じていくものだと思いますので、なんとも言葉にはしにくい、しても理解が難しいところかもしれません。
ただジョー・タルボット監督の持つこの呼吸が独自のモノなら、間違いなくトレードマーク的になっていくと思うものです。
この作品は監督のジョー・タルボットと、主演のジミー・フェイルズの実体験を元に作られたとのことで、二人が共に脚本を執筆。
ここにはジェントリフィケーションをメインに、人種の格差や黒人の文化、そして街と人間の多様性が描かれています。
内側からまたは近くから対象を見ることと、外から、離れたところから対象を見ることで大きく見え方が違うこと。
それはサンフランシスコの描かれ方ひとつでもはっきりとわかります。
私にとってですが、サンフランシスコと言えば、ゴールデンゲートブリッジ、起伏の激しい街並み、ケーブルカーです。
映画でもバディアクションとか警察ものとか、あと「アントマン&ワスプ」などでも描かれますが、今作のような感じでは観たことがありませんでした。
もっと地元寄りで、街とそこで育った、そこに歴史がある人が主人公で。
そういうと今作はテイストの異なる「ブラインドスポッティング」にも近いものです。ジェントリフィケーションによる喪失と人の多面性も描いていますしね。
ひとつの街も、どの場所から、どの距離で観るかによってさまざまに顔を変えます。
そして今作のキモとなっているヴィクトリア朝様式の一軒家。
その家を外側から眺めている序盤と、中で悠々と過ごす中盤。その他でもこの距離を持った観察と近くでの体感、また見る側の入れ替えはよく繰り出されていきます。
同じ隠し扉でも、思い出の場所でもありまた内装チェックのおもしろいギミックでもあり。
サンフランシスコの街も海外から観るのと住んでいて観るのでは全然違うわけですし、ジミーたちの近所と都市部でも顔を変えています。
確かに全裸のオッサンはイカレていますが、ケーブルカーに溢れんばかりに乗り、音楽をかけ酒を飲んでバカ騒ぎしているあの集団の方が、よっぽど狂っている。
問題はどこからどう見るか。
コフィーの件含めて、対象との距離や位置関係がその景色を変えます。
全ては多面性を持っていて、それらを知るために、時に近づいてみたり、違う場所からものを見つめていく必要があるわけです。
残酷なことではありますが、自分にとっての大切な思い出の場所も、その距離や視点さえ異なれば、何でもない土地、お金儲けに仕える資産だったり、捨てるべき遺物にもなりえます。
こういうことは生きていく上で誰しも感じていくことだと思います。
その思い入れというんでしょうか、すごく身勝手なことだけど、本当に大事なんですよね。
勝手に好きになって勝手に憎んで。
そこに間違いや嘘があっても、今作はそれも含めて個人の愛にまとめています。そこには今現代の距離を持って人や物を語れる社会への批判も込められ。
サンフランシスコに行ったこともないのに、なぜだかノスタルジーすら感じてしまう、独特の心地よいリズムを観ていてる側に流し込んでくる作品でした。
ジョー・タルボット監督がこれからどんな作品を手掛けていくのか楽しみです。
こちら是非劇場で鑑賞をおすすめします。
感想は以上。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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