「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」(2021)
- 監督:エドガー・ライト
- 脚本:エドガー・ライト、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ
- 原案:エドガー・ライト
- 製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ナイラ・パーク、エドガー・ライト
- 音楽: スティーヴン・プライス
- 撮影:チョン・ジョンフン
- 編集:ポール・マクリス
- 出演:トーマサイン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ、マット・スミス、ダイアナ・リグ、シノーヴ・カールセン、テレンス・スタンプ、サム・クラフリン、マイケル・アジャオ 他
作品概要
「ベイビー・ドライバー」などのエドガー・ライト監督が、ファションの勉強のためロンドンにやってきた少女と、彼女が夢の中で体験する60年代のロンドンでのある少女にまつわる事件を描くミステリーホラー。
主人公は「オールド」などのトーマサイン・マッケンジー、また60年代の夢に出てくる少女を「エマ」などのアニャ・テイラー=ジョイが演じています。
また60年代の夢の中に現れるショーのマネージャー役には、「オフィシャル・シークレット」などのマット・スミス。
主人公エロイーズが借りる部屋の大家は「女王陛下の007」でボンドガールを演じたダイアナ・リグが演じます。ダイアナ・リグは2020年に亡くなり、今作が遺作となります。
その他にも名優テレンス・スタンプやサム・クラフリンらが出演しています。
2019年に撮影を開始して2020年に公開予定ではありましたが、新型コロナウイルス感染症の拡大から公開は延期されて1年くらい伸びた2021年秋公開となりました。
日本では東京国際映画祭にてプレミア上映されており、その1か月後の12月に公開。映画祭でもチケットが取れそうでしたが、まあすぐ公開されるのでその時はスルー。
今回は公開週末にさっそく観てきました。結構人が入っていましたね。
ちなみに完全な裏話ですが、ジョージ・ミラー監督は今作の初編集版を見て、アニャ・テイラー=ジョイに感心し、マッドマックスのシリーズ「フュリオサ」の主演に選んだそうです。アニャすごい。
~あらすじ~
イギリスの田舎からファッションの勉強のためにロンドンに出てきたエロイーズ。
彼女は60年代イギリスのファッションや音楽を愛していた。
しかし寮ではそんな彼女の趣味や田舎者をバカにする女子グループのせいで居心地が悪く、一人で空き部屋を借りることに。
だが、その部屋で眠りつくと彼女は夢の中で60年代のロンドンに入り込み、アレクサンドラという少女として彼女の人生を体験するのだった。
アレクサンドラは歌手を夢見てロンドンに来たばかりであったが、彼女に目をつけたジャックというマネージャーによってナイトクラブでのデビューを約束される。
エロイーズは夜になって体験することアレクサンドラの華やかな世界に夢中になるのだが、60年代のロンドンの綺羅びやかな世界にはおぞましい真実が隠されていた。
そしてその影は、現代のエロイーズにも忍び寄る。
感想/レビュー
性暴力をテーマにした作品です
初めに言っておきますが、今作はホラーミステリーというのもジャンルではありますが、扱っているのは男性からの性暴力であり、その描写についても直接的で残酷なシーンもあります。
ここが予告や宣伝広告ではあまりフォーカスされていませんので、念の為にお伝えします。
私は割と化け物やグロスプラッタは平気ですが、性暴力はかな見るのに疲れます。
直近ではリドリー・スコット監督の「最後の決闘裁判」がそうですが、辛いんですよね。
平気という方には言いませんが、フラッシュバックを起こしかねない方は今作は注意してください。
ミステリーとして巧みに設計された構成
というところで、映画について。
今作もエドガー・ライト監督らしい音と音楽と映像のライド感は楽しめます。
序盤の組み立てでは流石と思います。
エロイーズの家の中での部屋へのダンスシーン。レトロミュージックに絡んで彼女の人物造形が音楽と映像だけでしっかりと説明されています。
自分の部屋に掲げられる文字、音楽とダンス。憧れ。
そのシーンだけではたしかに田舎娘の夢ではありますが、全てが実は巧妙に後半部分に呼応する作りになっているのも見事です。
その他に言えば、例えば序盤の寮のシーン。
ジョカスタは自分のファミリーネームの部分を消していて、その方がクールだからと言います。この名前だけ、フルネームが分からない状態というのは後半に呼応します。
大家さんはなぜそこまで男性を連れ込むことに厳しいのか。夏は臭いがきついとか、排水のこと。後から見えてくる別の意味。
エロイーズの母親の自殺や病気の話が、のちの警察署でのシーンで作用し始める。
表裏という関係性を主軸にした今作は表面から見えるものとその本当の意味について巧みに設計されており、おそらく複数回鑑賞すると、また構造を注視できて楽しいでしょう。
その他エドガー・ライト監督らしい部分でいえば、その音楽と音の使い方。ループ、歌声とサントラが交差する。映画の中での音と音楽の絶妙なハーモニー。
主演二人のアイドル映画としても満足
エロイーズを演じるトーマサイン・マッケンジーもそのアイドル感を発揮し、すごく可愛らしくダンスシーン含めて魅力的です。
彼女ってくりっとした目も特徴的ですが、私は改めて声が可愛らしいのだと気づきました。
またアニャ・テイラー=ジョイはセクシーさとヤサグレ感、そしてこれまでスリラーで磨いたホラーでのリアクションも素敵です。歌唱シーンも良かったですね。
それぞれの衣装についても、60年代のスタイルでファッションショーのような面もあり楽しいところでした。
総じてこの二人の輝かしい若手俳優のアイドル映画として、それぞれのダンスに歌に衣装に、かなり満足な映画になっています。
二人が織りなしていく夢の世界。本当に60年代にタイムスリップする間隔が素晴らしい初めての夢。
狭い路地を抜け出た先に広がるクラシックな車に人の往来、「サンダーボール作戦」の看板。そこから入っていくナイトクラブ。
夢追う二人がシンクロしていくパートはその流れるようなカメラワークやワンカット的な撮影が印象的です。
マット・スミスとの入れ替わりでのダンスシーン。
正直どこでカット割ってるのか分からなくてレベル高いと思ったら、あれカット割りなしなんですね。
巧くカメラの死角に隠れつつ、トーマサインとアニャが実際に入れ替わりながらダンスしているんです。
コリオグラフィーもカメラも全体に質が高い。
エロイーズと観客にシンクロする苦痛
ただこの二人を取り巻く設計が最高に機能するのは、やはり華やかなロンドンの裏側が顔を覗かせてからだと思います。
ここではエロイーズの苦痛を見てみると、彼女自身が悪霊に襲われるとか、男性に暴行されるわけではありません。
ただ、男性に搾取され暴行されるアレクサンドラを見ているしかないのです。それが苦痛であり悪夢。
今作はそのエロイーズ状況が観客とシンクロします。
観客も、映画の中の人物をスクリーンを通して見つめることしかできず、助け出すことも手を差し伸べることもできないのですから。
最初で最後の触れ合い
接触というのがなんとも悲痛ですね。
男性たちによる接触はおぞましく、エロイーズはアレクサンドラを救いたくも手を差し伸べることができません。
女性に対する性暴力はこの仕組みをもって体験型になっていると思います。だからこそ、最後の最後でやっとエロイーズとアレクサンドラが触れ合う、抱きしめるシーンがすごく切なく炸裂します。
時代を超えて傷を共有した二人の最初で最後の触れ合いなのです。ここは私的にはグッときました。
非がないわけでもありません。
なににしてもホラーの割にはあんまり怖くなかったというところとか、造形的な部分も微妙だったりCG感は否めなかったり。あと最後の方はちょっと散漫になったかと思います。
でも良いんです。
幽霊などよりもっと恐ろしい、男性に力でねじ伏せられ抵抗できない女性という構図がありますので。
癒しと救い
最後にエドガー・ライト監督の前作から今作を撮るということへの意味合いを見てみると、深読みかもしれませんがすごくおもしろいです。
「ベイビー・ドライバー」の主演アンセル・エルゴートの件、そして同作のケヴィン・スペイシーの件。
この二人の出ていた作品の後に今作を撮っているのですよね。
60年代というきらびやかなノスタルジー。
この時代でなくても生まれてもいない時代にあこがれを持つというのは現実にも流行っています。
特にやはり音楽とファッションにはその傾向が強いですね。
しかし、時代には2面性がある。女性の視点で見たとき、本当に過去にさかのぼると良いものなのか?
現代にも続いている問題。
エロイーズの現代においても、タクシー運転手がマジクソ気持ち悪くてひどいですし、ナイトクラブでは冗談にならないセクハラをかますクソ野郎がいる。イメチェンして街を歩けばジロジロ見てくる男たちがいる。
エドガー・ライト監督は憧れの世界の裏側に生きた人や、今なおその影に脅かされる女性へ、すこしでも癒しと救いを与えようとしたのだと思います。
お化け描写とかがガチだったらもっと傑作と言っていたかもしれませんが、しかし秀逸な作品だったと思います。
興味がある方は注意だけしつつぜひ劇場へ。
というところで今回の感想は以上になります。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
それではまた次の映画の感想で。
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