「ザ・キラー」(2023)
作品概要
- 監督:デヴィッド・フィンチャー
- 製作:セアン・チャフィン
- 製作総指揮:アレクサンドラ・ミルチャン
- 原作:アレクシス・ノレント
- 脚本:アンドリュー・ケビン・ウォーカー
- 撮影:エリック・メッサーシュミット
- 美術:ドナルド・グレアム・バート
- 衣装:ケイト・アダムス
- 編集:カーク・バクスター
- 音楽:トレント・レズナー、アティカス・ロス
- 出演:マイケル・ファスベンダー、チャールズ・パーネル、アーリス・ハワード、ソフィー・シャーロット、ティルダ・スウィントン 他
ネオ・ノワールの流れを汲む、アメリカのアクション・スリラー映画。
アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが脚本を執筆し、「Mank/マンク」などのデヴィッド・フィンチャーが監督を務めた。
この映画は、アレクシス・ノランとルック・ジャカモンによる同名のフランスのグラフィックノベルシリーズ『ザ・キラー』を原作としています。
「エイリアン:コヴェナント」などのマイケル・ファスベンダー、「トップガン マーヴェリック」のチャールズ・パーネル、「アステロイド・シティ」などのティルダ・スウィントン、そしてアーリス・ハワード、ソフィー・シャーロット、が出演しています。
2023年に開催された第80回ベネチア国際映画祭で、注目のコンペティション部門に出品されました。
Netflixにて2023年11月10日から配信がスタート。公開に先駆けて、10月27日からはいくつかの劇場での限定上映も行われていました。
激情はTIFFとか仕事とかで行けなかったので配信で鑑賞しました。
~あらすじ~
パリの廃墟と化した建物の窓越しに一人の男が向かいのペントハウスを観察していた。彼は暗殺者で、数日間も標的の到来を待ち続けていた。
夜、仮眠から覚めた男がペントハウスに変化を見ていた。メイドが出入りし、誰かを迎える準備をしていた。
男は急いで黒い望遠ライフルを組み立て、冷静に狙いを定めた。ターゲットが部屋に入って来たが、別の女性が動いたため、弾丸は彼女に命中し、暗殺は失敗に終わる。
男はバイクに飛び乗り、犯行現場から逃走。証拠隠滅のために物を捨て、ガソリンスタンドのトイレで手や顔を洗い、新しい服に着替えて空港に向かった。
ドミニカ共和国の人里離れた自宅に戻った男は、入院中の恋人が襲撃されたことを知る。意識を回復した恋人は、口を割らなかったと告げた。男女二人組がやって来たという。
男はもう二度と危害を加えないと恋人に約束し、病室を去った。
感想/レビュー
完璧主義の仕事人。
寡黙でクール。決まった、まるで何かの礼儀作法のような丁寧さと機械仕掛けのような精密な動きで着実に自分のルールに従う。
静かな仕事人は、自分の掟を守りぬく・・・
とはいかないのが今作。
どんなに計画しているプロでも、冷静沈着にと思っていても、仕事ってなぜか変なところで運任せになっていくもの。
皆さんもそんな経験があるでしょうし、実は殺し屋さんも同じことがあるようです。
デヴィッド・フィンチャー監督といえば、その完璧主義の偏執的なこだわりで知られる監督。
撮影に関しても自身のヴィジョンを徹底的に追求し、頭の中の想像を目の前に具現化することを追い求める。
仕事論タイプの映画なのかと思うのが、この「ザ・キラー」。
監督のこだわりの狂った具合が、主人公の殺し屋とも重なって見えるおもしろさのある作品と思います。
おもしろいというのは、実は滑稽さも含んでいます。
実はコメディ的にすら見える作品だと私は思っています。
ギャグがあるわけではありません。
例えるならラース・フォン・トリアーの「ハウス・ジャック・ビルト」で、マット・ディロン演じる殺人鬼があまりの神経質さに何度も現場に戻って血痕が残ってないか確認してしまう、あの滑稽さがあります。(伝わらないか)
この殺し屋、内省独白がすさまじく多くて、ずっと自分のルールを復唱しています。
で、その割には結構ドジ。というかテイストとしてはクールだし静かなんですが、割とルールの逆を行ってしまう。
感情的になってしまうし、相手に優位を取られてしまう。
犬の対処が意外に雑だったり、筋トレバカとはなぜか正面勝負していたり。
パリでの逃走の仕方もちょっとバタついていて、警察車両見るたびに急にUターンしたり道を曲がったりとちょっとあたふたしてて可愛い。
そんな様子をすっごくまじめに追いかけていくのでシュールです。
というかそもそもの始まりがこのキラー君の仕事でのミスです。ミスったからこんなことになっていて、そこでストレスにさらされながら奮闘。
ということで、立派な説教をしながらもやはり殺し屋も人類の人間でしかなかったのです。ティルダ・スウィントン演じる人物との対話がサマリーのように濃縮されていました。
冷酷で機械のようなプロの殺し屋であろうと思っているほどに、どこかで踏み外してしまう。そして不安を抱えていて、ターゲットを外したことを振り払えずに直接会いに行く。
仕事とは誰しもが、何かのための手段として行っています。
金をもらうつまりは裕福になる、生活をする、自己実現をする。
殺し屋も恋人との生活などのために人を殺した射ているわけです。
しかし熊との逸話でもあるようなことは往々にして起こりえます。仕事の先の対価ではなくて、仕事そのものが目的になっている。
誰だって仕事辞めたいと思うはず。
でも心の奥底で仕事を、というよりも予測不能である程度ストレスのかかる環境下での労務、義務を欲している。
認めたくないですが、私はたぶん仕事を完全に取り払うと正直人生を持て余すかもと、かすかには思っています。
キラーは今回の件を通して、自分自身が自分で語るような存在ではないと悟る。
矛盾した行動をとり感情に流されミスを犯す人間だと。その意味で、多数のうちの一人なのです。
マイケル・ファスベンダーは「X-men ファースト・ジェネレーション」でナチス残党狩りしてた時に、ボンドのような冷徹さと少しの人間味がすごくいい俳優だったので、今回の殺し屋役もはまっていました。
さすがフィンチャー監督なので画も決まっていますし、この仕事論はフィンチャー監督自身のことなのかもと思うとまたおもしろい。
完璧に映画を作ろうとし続けても、どこかで崩れてしまうってことなんでしょうかね。
限定公開の際に劇場には行きそびれましたが、NETFLIX配信で観れて良かったです。興味ある方は是非。
今回の感想はここまでです。
ではまた。
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